ダライラマを疑え
真の”チベットの自由”のためのチベット論
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チベットのお話②
【2008/12/16】 アイコントーク
三回目を迎えまして、冥王星のアシスタントを招聘します。主に、URL紹介や画像紹介などを担当してもらいながら、補助的説明をしてもらう予定です。
冥王星の主観的な見地などと違って第三者の見地を紹介してくれることになるので、彼女の方が有益な情報を提供してくれることも多いでしょう。
そういうことでご紹介します。
TV版ナデシコのアイドル・電子の妖精:ホシノ・ルリさんでぇ~す☆
(無言)
・・・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・・・・・
ルリルリ・・・挨拶・・・
(無言)
大丈夫なのこの子?
思兼!検索開始
戦国時代に中国から渡来した甘い酒密淋(ミイリン)」が起源という説と、 日本で甘いお酒の腐敗防止のためにアルコールを加えていたのが改良されてミリンになったという説の2つがあります。 最初は飲むためのお酒でしたが、江戸時代の後期になると料亭で甘味料や隠し味として使われるようになります。 特にウナギの蒲焼のタレとそばつゆには欠かせなくなりました。 それが全国的に流行して、調味料としての使われ方が定着したようです。 時代を追う毎に甘味や旨みの濃いものが作られるようになり、戦後に現在の様なミリンになりました。 一般家庭に普及したのは1950年ごろです。
参考
ふうん・・・こういう子なんだ・・・(怒)
こういう子です。
本名:紅美鈴
渾名:本みりん、中国
職業:門番
趣味:昼寝
好きなもの:コッペパン

プ・・・(嘲笑)
殴っていい?
アシスタントなのでそれは困ります。
上司ならもう少し躾しなさいよ!
コミュニケーションスキルは机上で教えることはできませんので、ご主人様が教えてあげてください。
無礼な振る舞いは私の責任でもありますが、彼女の本意ですし
本意だからムカつくんだけど?
ままぁ・・ここは広く穏やかな心で・・・ご主人様は広い広い国土じゃないですか・・・
アンタも殺してあげようか?

しばらくお待ちください。冥王星がボコボコにされております。
バカばっか
あたいったら最強ね!
そ~なのかぁ・・
(無言)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

テーマ2:チベットとは何か?後編
痛いですよ。ご主人様。
少しは手加減してください。冥王星は、パチェ様みたいに「もやしっ子」じゃないですけど、ご主人様ほど肉弾戦得意じゃないんですから。
代理制裁よ。代理
あの子?ルリちゃんだっけ・・・が私に関する問題発言したら即アンタに制裁発動よ!
(無言)
分かりました。とりあえず、自重してもらえるように鋭意善処します。
善処という言葉は、実は”心にだけ留めておく”程度よねぇ・・・
そ~なのかぁ・・
そいういう部分はスルーしてください。
先進まないから本論いきましょう。
はい。そうしましょう。とりあえず、今回は前編の基礎をベースにして、ウィキペディアの「チベット」の説明を解説しますね。ぶっちゃけ、この記事の問題が非常に大きいのですが
まぁ、ウィキペディアの信憑性は私も知ってるわ
で、アンタがそれを補正しながら解説するという志向なわけ?
まぁ、そうなりますねぇ・・・さっそく、ルリルリお願い
思兼。検索開始
ウィキペディアより「チベット」
んじゃ、この資料をベースにして話を始めます。
古代から独立国家であったが
とありますが、具体的には古代とは何時のことなのか?という問題点があります。ここらに関して、現状のチベット代表と想定されているチベット亡命政府のサイトを参照もしてみましょう。
思兼。検索開始
ダライラマ日本代表事務所
チベットの年代譜によれば、初代チベット王がチベットを治めはじめたのは、紀元前127年のことだという。しかし、チベットが統一国家としてソンツェン・ガンポ王の下で強大な帝国になって現れるのは、7世紀に入ってからのことだった。この王の統治下に、政治・軍事の覇権と領土拡張の時代が幕を開け、その隆盛は3世紀もの間、続くことになる。またネパールと唐の王室は、娘をソンツェン・ガンポに嫁がせた。
早速ですが、指摘されている「チベットの年代譜」は何か?不明すぎます。書物であるなら文字があるはずですが、チベットで文字が成立するのは、もっと後のことですし、そもそも「著書の名前」を挙げているサイトはどこにもありません。
ぶっちゃけ、伝承神話の部類でしょう。<
神話での国は「国家」じゃないわね。実存の真贋が明確になるだけの証拠はないの?
私が知る限りではありませんねぇ 。そもそもチベット人が文字を使用したのも、そんなに古くからではないですし、歴史文献としては中国の史書しか登場したこともないわけです
いくら中国政府の歴史捏造の問題があるにしても、全て捏造とするだけの論理的妥当性はありませんからね。
まぁ、そうね。仮に中国の歴史書全てが捏造だったら、シルクロード交易の歴史では、正倉院の話。紙の普及の歴史とか中国由来になるものが全て説明できないしね。
まぁ、残念なことに、チベット古代史に関しては中国の歴史書に頼るしかないわけですが、それがナンセンスという人もいるわけですが、それなら、当然、邪馬台国から古墳時代に関する中国側の歴史資料を全て偽書として取り扱うべきでしょうからね。それができるわけでもないのに、中国の歴史書は捏造と全面的に言うわけですからね。
そ~なのかぁ・・
気持ちは分からなくないわねぇ・・・・だって、三国志演義で指摘されてる兵数とか捏造でしょ?捏造という誇張?
まぁ、そうでしょうね。でも、日本だって、軍記物の「平家物語」「太平記」なんかも同じようなもんで、太平記なんかもっと酷い捏造度合いですからw
あたいったら最強ね!
そんなものをベースにして、「建武の親政」を「中興」とか呼んでるのは、バカよねぇ
そ~なのかぁ・・
んまぁ、そういうことです。で、続けますねぇ。
どうぞどうぞ
チベットが統一国家としてソンツェン・ガンポ王の下で強大な帝国になって現れるのは、7世紀に入ってからのことだった。
これに関しては、歴史認識では概ね問題ありません。中国歴史書の記述であり、チベット人の歴史書がない時代ですがね
え?ちょっと待って
7世紀になってから歴史書に出てくるの?
え~~と、「漢書」とかにチベット人かと思われる周辺民族の名称としては、常用漢字では表記できないのですが、”キョウ”、”チョウ”、という名称で呼ばれる人々がいたようです。
あくまでも中国王朝は対等な国家としてその名称を使っているわけではなくて、そういう人がいる、そういう部族がいる、程度に認識だったようです。

ちなみに、中国王朝では周辺部族の名前が王朝が変わると変化するので、注意する必要があります。困ったもんです。
ふう~~ん
後ほど説明しますが、 「国家」というのは、諸外国と外交関係が存在することが現代でも要件ですし、小さい部族のまとまりを全て「国家」として認識するとすれば、古代史は国家だらけになります。古代チベット地域に「国家」があったとする人は、そんな荒唐無稽な「国家」を国家として認めることになるはずですが、それを論理的整合性を認めることを現代では到底しないでしょうし、なんでも「国家」と規定できてしまう問題点を省みない人が、「古代チベットは独立国家」だったと言うのでしょう。
つまり、ウィキペディアの

「チベットは、古代から独立国家であったが 」

は適切ではないと?
いや・・それは違うんですよ。ダライ事務所のサイトにあるように、
チベットが統一国家としてソンツェン・ガンポ王の下で強大な帝国
を作るわけです。この帝国を歴史的には「吐蕃」王朝と言います。
なんて読むの?
「トバン」と言います。前回チラっと名前出したと思いますけど・・・・・
ルリルリ、お願い
思兼。検索開始
ウィキペディアより「吐蕃」王朝
ちなみに、吐蕃という言葉には、上記の指摘にある
・国家としての「吐蕃」の意味、
中国歴代王朝がチベット地域を総称して言う「吐蕃」の意味=「西蔵」も同じようなもの
がありますが、ここで使うのは、帝国、国家としての意味です。
OK。帝国になったほうね。
一応、チベット統一王朝と考えられています。
トバンの最大版図を地図にしたものがあるので、ルリルリお願いねぇ
これだけの領土の王朝だったわけで、中国王朝も周辺の国家も無視できる存在ではありません。
当然、「国家」として古代チベット唯一と言いえるでしょうね。
ちょっと待って。さっき、冥王星は「古代チベットには国家があった」という言葉に異論を挟んでるわよね?
はい。そうですが、この王朝の除けば、「国家」という体裁はチベットには存在してないとも言えます。この後も説明しますが、この王朝以後、外交権の確立したチベット国家はありません。
つまり、古代チベットには「国家」はあるとしても、それ以後は「国家」はないという意味です。
つまり、「から」ではないということね・・・
そういうことです。古代チベットに国家がないとは言いません。この「吐蕃」が唯一のチベット統一国家と思ってます。
なるほど、そういう意味で異論をもってるわけね
でも、問題があるんですよ。 吐蕃は、「ソンツェン・ガンポ」以外では記述がほとんどないんですよ。この最大版図の指摘は、唐の歴史書によるものですが、一時期隆盛を誇った吐蕃と唐王朝は国境策定の条約を締結します。
これはある程度、唐王朝と対等であることを暗示する意味では、中国王朝側としては吐蕃の実態を大きくする必要性があったとも言えます。
つまり、中国側のメンツの問題で、吐蕃は実像よりも過大評価されていると?
そういうことです。
吐蕃の名残になるものが現在のチベット域外には証拠もないんです。吐蕃の存在も史書による補完しかないとも言えます。
そして、中国王朝でもっとも歴史改竄が多いのが、現在の中国共産党政府を除けば、この唐王朝でもあります。
ふう~~ん・・つまり疑ってかかれと?
まぁ、多少は疑うべきでしょう。
と言っても、反証するだけの証拠もないんですけどね。
吐蕃が中国王朝に認められた「国家」であることは歴史書における事実でしょうし、記念碑もあるので・・・・
それに唐王朝末期には、 吐蕃が盛んに中国本土に軍事介入してますから、実力の程度は否定できないでしょうね。
ふう~~ん・・・まぁ、チベットに関する文献はチベット自身が持っていないわけだし、中国の歴史書に準拠するしかないのね。
そういうことなんですけどね。
でも、このソンツェンによって、チベット文字が策定されているんですよ。ベースはインドのサンスクリット語ですけどね。
じゃ、その後の歴史はチベット文字として残されているの?
特段残ってないですね。残念ながら。可能性としては、中国共産党政府が抹殺したかもしれませんが、それはほぼ不可能でしょうしね。
古代史って不便だね。
そうですね。まぁ、これはどこに国も同じで仕方ないことです。
そうそうちょっと問題あるけど、ソンツェンに関して簡単に説明するんですけど・・・ルリルリ、聖徳太子、ソンツェンの検索記事くれる?
思兼。検索開始
ソンツェン・ガンポ・・ 聖徳太子
二件ともウィキペデアより
kこの二人は業績が似てるのよ。かなり
は?チベットと日本で似てる?
・二人ともほぼ同年代
・中国王朝との対等な関係を希望している
・進んだ隣接国との交易関係を樹立する
・律令政治の整備
・12分岐の宮廷身分制度の策定
・仏教への帰依
似てると言えばそうだけど、無理すぎない?
まぁ、無理なんですけど、時代の一致を考えると疑わしい部分は多いですよね。両方とも母国の歴史書の信憑性の問題が多いわけですが・・・
ちなみに、聖徳太子の業績が虚構という仮説知ってます?
ウィキにもあるけど、聞いたことは何度かあるわ。
冥王星も虚構だと思ってます。あまりにもスーパーマンすぎますしね。存在した業績だとしても、連名だったと思います。彼一人の業績とはとても思えません。
それがソンツェンにも指摘できるわけです。ソンツェンはもっと怪しくて、中国側の史書しか残ってないと言えますので・・・
でも、あんたはその程度の話が古代史だと言ってるじゃないの?
まぁ、そうなんですけどね。 まぁ、でも、トバン=国家は簡単には揺らぐことはないでしょうね。物的証拠を捏造するのは1000年以上のものでは困難を極めますし
な~~んか釈然としないなぁ
それは反論部分が言葉の問題だからですよ。
ご主人様が理解した通りで問題ないですよ。今回は整理の必要性はないくらいに理解されたと思ってます。一応、ルリルリ整理してくれる?
思兼。要約
ウィキペディアにおける「チベットは、古代から独立国家であったが 」の指摘が不適切であるのは、古代チベットに「吐蕃王朝」が存在し、その王朝が対外的な外交関係と独立性を保持していたことから「国家」とは認められるが、その後のチベットには独立国家が存在しないことから「から」という言葉が適切ではない。別途要点として
・古代史として 吐蕃とその人物に関しては、古代史特有の信憑性の問題を抱える。
・ソンツェン、聖徳太子とも疑うべき素地が多い
・中国の歴史的な立ち位置の問題で東アジアの古代史の疑問はつきない
以上
あと、個人的な指摘になるけど、ウィキペディアの「チベット」の信憑性の問題は今後も検証しますが、併せて、ダライ公式HPの記述も検証しますので、両方とも見れる状態にしておいてくれると便利です。
テーマ2:チベットとは何か?後編の続きというかダラダラと歴史
まぁ、チベット古代史に関してはまだ突っ込み場所が多いわけですが、一回区切りを設けます
前編と後編の分量の違いが大きいわね。チベットの歴史といってもまだまだ先があるんでしょ?
はい。まだ1200年以上ありますので、長いんですが、そこは結構省略できるので、ご安心を
まぁ、私は聞くだけでいいからいいけど、最後までやってよね?
はい・・それはもう頑張ります
とりあえず、しばらくはご主人様は聞き手に回ってもらって、疑問点が発生したら、止めてください。
スピードアップするのね?
まぁ、そういうことです。かなり一機に時代を進める予定です。
あたいったら最強ね!
そ~なのかぁ・・
・・・・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・・・・
>
要点だけを集中的に整理します。展開速いので、ご注意を _
ウィキ攻撃というか、補足作業になりますが、とりあえず、ルリルリ、補助お願いね。チベットの歴史出して
思兼。検索開始
重複:チベット
さっき出した「チベット」の項目の中盤にチベットの歴史がありますね。そこ見ましょう。
とりあえず、ウィキ参照すれば、その後、「~~王国」「~~政権」とあるわけですが、トバン以後、海外勢力に国家として認められたという王国、政権はありません。
「留学生を派遣している」 ことは、国交を意味していると解釈できますが、別にそれが国家として認められたから留学生を受け入れてるわけでもありませんし、国交がある前提での留学生とも言えません。
ついでに中世においては、チベッ地域は、当時の大帝国に概ねスルーされます
まって・・どういうこと?そのスルーされるってのは?
え?単純に言えば、不毛の地を収めるメリットがないからですね。まぁ、自主的に支配下に加わる事例もあるので支配されている体裁の時代もありますね。
つまり、チベット地域は独立性を保っていたのではなく、土地としての魅力がない?
まぁ、早い話がそうです。ウィキに記載されている中世の政権、王国などは総じて外交勢力の干渉を受けません。 まぁ、大帝国の侵略活動に対して自立的に支配下に加わるか?スルーされちゃってる・・・という見地で問題ないっすよ。
ふ~~ん・・・続けて
ウィキ見ると、
グゲ王国、青唐王国 、サキャパ政権 、パクモドゥパ政権 、リンプンパ政権 、ツァンパ政権
とありますが、グゲ、青唐王国などは、トバンの分裂した王国でしかなく諸外国の認知はありません。単純に言えば、どかの独立した部族が「王国」を名乗ってるだけともいえるでしょうし、それを「国家」と規定することに問題があります。
ダライ事務所には、元王朝以前のチベットは記載がないわね。
ないですね。
9世紀半ばになって、チベットはいくつかの地方国家に分裂した。
程度しか記載できないのは、資料が中国側にしかないこともありますが、ダライ事務所には不都合な歴史もあるからなんですけどね。
どういうことなの?
前述した「王国」の後に、チベット仏教内部の対立が顕著化するんですよ
パクモドゥパ政権 、リンプンパ政権 、ツァンパ政権は単純に、チベット仏教におけるリーダー争いであって、求心力を失ったトバン王室の代行者の問題とも言えます。
一方、チベットの各地では部族間対立も多発していて、チベット仏教はあくまでも内部的に主導権争いをしてきた歴史があるんですけどね。
ん?つまり、トバン以後はチベット仏教の主導権争いの歴史だと?
そういうことですね。その後の、
サキャパ政権 、パクモドゥパ政権 、リンプンパ政権 、ツァンパ政権
は当時の大国の援助でチベット仏教の主導権を確保しているとも言えるので、傀儡みたいなもんですよ。国交ある援助じゃなくて、裏で援助するみたいな?
こういう政治手法は現代でも使われてるわけですが、イメージするなら戦後南米の主導権争いを影で支配してきたアメリカCIAみたいなのが中国王朝にもあった・・そんな感じでOKですよ
ふうん
歴代の中国王朝で総じて周辺異民族の脅威に晒されていたのですが、裏では部族間闘争を誘導するように動いていたんですよ。
例えば、支援したA部族が強くなると、対立するB部族を支援したり、B部族が強くなるとA部族を支援したり・・・・遊牧民国家は巨大化すると止めるのが困難ですが、小さいままなら永遠と部族間闘争の歴史
になって、中国本土には脅威にならないもんですからね。
う~~ん・・いまいち、つかめないな
まず、トバンという王朝がありました。その王朝が分裂し、求心力がなくなった状況でトバン王朝時代の政治助言していたチベット仏教界がトバン王朝の代行で政治的影響力を持ちますが、チベット仏教支持者は大多数でもないので、さらに分裂が加速していきます。
一方、歴史記述としてはトバンの受け皿になっら政権、王国が記述されるわけですが、これも中国王朝の影響下にあることが多いわけですし、分裂したチベットを統合するに至りませんし、チベット仏教の間の対立も解消されることはないわけです。
あのさ。外交関係がないと「国家」ではないというのは、厳密すぎない?
まぁ、そういう批判理解します。しかし、トバンという例外を除けば、その後のチベトの歴史はあくまでもチベット仏教の求心力をベースとした政治史でしかなく、チベット仏教信者ではない部族などは治めていませんし、チベットという規模の国家ではなく、一地域の統治組織でしかありません。奥州藤原氏を「国家」と認めるような歴史が日本にあれば、妥協できなくもないですが、それは無理でしょう?
釈然としないなぁ
その疑問は理解します。歴史学的に「国家」という規定は非常に難しいものですからね。
公民で習ったけど、現代の国家を規定する条件で見れば、中世チベットには「国家」に該当するものはないのは、理解するわ。でも、「国家」を歴史的に規定することは、簡単じゃななさそうね。
ウィキはなれてダライ事務所の文章を検証してみますけど、正直ウィキと同じように疑問視がつくんですが
ルリルリ、古代チベットのソンツェンの后の部分を
思兼。検索開始
ネパールと唐の皇女を妃に迎えたことは、チベットにとってとくに意義が深かった。というのも、チベットに仏教が広がるうえで、2人は重要な役割を果たしたからだ。中国の宣伝工作(プロパガンダ)は、ソンツェン・ガンポ王と唐の皇女・文成(ぶんせい)公主との結婚に、政治的な意義をもたせるのを常とするが、他の妃たち-とりわけ文成公主よりいくらか影響力があったとされるネパールの花嫁-については、いつも都合よく忘れ去っている。
別に都合よく忘れることはない。中国当局は唐王朝から降嫁された「文成公主」が、ソンツェンの息子との婚姻であって、ソンツェンとの婚姻を意図したわけではないことは重要な意味があるし、息子の嫁さんを奪うソンツェンの人間性という意味では、ネパールの「赤尊公主」よりも大きな意味があるのは当然だろう。
「赤尊公主」の存在なくしてはインド、ネパール方面とのパイプは語れないわけだが、それ以上に、 「文成公主」の影響力が大きいのは否定できないだろう。
思兼。要約
ダライ事務所としては、中国の影響力を否定したい一方、チベット仏教のチベット支配を肯定したいがために、「赤尊公主」の相対価値を高める意図があると想定される。 ソンツェンが近親相姦に至った事実に触れないのは、チベット仏教の側面において振れられない問題であると思われる。(歴史的な意味合いは近親相姦までして娶ったことにあることが重要であるはず)
過激な要約だね。まぁ、相対的に「文成公主」の影響力と歴史的意味合いが強いのは否定できないからね。ダライ事務所としても政治的スタンスのために歴史的認知に作為をこめる必要性はあるだろうしね。
なに?ダライ事務所の歴史の公平性の問題?
まぁ、そう思っていいです。ここらはある程度、資料があるレベルで批判するわけですが、この記事は客観的な評価はできない恣意的な文面でしょうね。
指摘しちゃうと、「文成公主」の人と為りはチベットでも大きく評価されているんですけどね。
現在のダライ事務所がそれを歴史認定すると都合悪いわけですよ。
ふう~~ん。こっちも疑わしいのね。
思兼。検索開始
ウィキペディアより「文成公主」
あ一応指摘しておきますが、遊牧民族では近親相姦はそんなに珍しくないです。でも、息子の嫁さんでしかも中国王朝ということには大きな意味があるのはわかると思います 。
漢王朝時代の「王昭君」なんか有名ですね。
よくわからないけど、ソンツケンは息子の奥さんを娶ったわけでしょ?そうとうな美人だったんでしょうね?
三次元には興味ないので自分としてはスルーしたい話ですが、客観的に考えるに彼女は菩薩様のモデルにような取り扱われ方していることから美人である以上に、母性もあったんではないでしょうかね?チベット民衆にとっては・・・・たぶんですが・・
ねね。もっとわかり易く整理できない?
難しい話ですね。とりあえず、日本の歴史で比喩してみますけど・・・
トバン王朝以前の歴史は日本の大和朝廷と同じで文献もない神話の時代です。しかも日本の大和朝廷の時代よりも物象がない時代です。
トバン王朝もいきなり出現したわけではなく、ソンツェンは33代目の国王ですし、トバン王朝は日本で言う天皇家に類似すると思っても近代までは問題ありませんね。
トバン王朝が内部崩壊してゆく過程で地方部族、地方豪族が自立して乱立する時代が到来します。まぁ、ここらは平安時代後期の武士の台頭と同じような感じでOKです。
中世チベットは、内部分裂したチベットを統一することなく、ダラダラと部族間闘争の歴史という感じですね。
ウィキペディアに指摘されているチベット仏教の政権は、イメージ的には、京都を実質的支配した寺社勢力であり、政権の交代の背景には、チベット仏教内部の対立構造と中国王朝の支援などがあった。
確定的にはいいきれませんが、チベット仏教の一般的認知度は限定的だと思います。それは今のチベットにも言えることでしょう。
そもそもチベット仏教のTOPであるダライが暴動を制止できない事実は、求心力のないことの証左と解釈できますしね。
まぁ、そういってもチベット人に関する統計なぞ存在しませんから、推測にしか過ぎませんけどね。
前回指摘したとおり不明瞭なのねぇ
まぁ、そういうことです。もっとも、チベット論者はそういう問題を棚上げして論じてるわけですから、タチが悪いですね。
この「チベット」を編纂した人なんか断定系で記述してますけど、歴史部分なども割愛部分が多いし、何より出典元が怪しいんですよ。特に「日中出版社」
ええぇ・・そうなの?
この出版社については機会があったら説明しますよ。
とりあえず、中世までのチベットの歴史を展開してきたんですけど、まだまだ続きます。
でも、今回は一旦、終わりにしますね。
本当に後編のボリューム多いわね。
そうですね。前編が地理的なチベットの問題の説明が主体だったんですけど、今回は歴史的な問題なので、どうしても政治と歴史の連動性から分量が多くなってしまいました。
次回も今回と同じく歴史をやることになりますが現状のチベット問題に深く関わる歴史の説明になるので、ある程度は割愛して、DQNさんブログの反論で説明する部分も増えます。
そういうことで、次回もよろしくです。ご主人様
中々、本題らしき部分に話が行かないのがイライラするわ
その批判は理解しますが、ここらの話は実は、本当の意味でチベット問題を理解する上では重要ではないにしても、チベット論者の欠落部分なのであえて掘り下げる部分だと思います。その主題は「チベット仏教のチベット支配の正統性」という問題なんですけどね。
それでじゃ今回はここまで?
そういうことにしてください。
そういえば非常に香ばしいサイトを見つけたので、近いうちに反論というか、説教記事を作ります。
少しは面白くなりますよ。
あんまり期待しないでおくわ。グダグダの展開続いてるし
それじゃ、最後の締めを
もうないわよ・・・私のお決まりのセリフなんか・・
東方M-1あるじゃないですか・・・あれ・・
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・イヤ
いいんですか?そういうこと言って・・・・・・
前回の記事読んでくれた「おぜうさま」「PAD長」からこんな手紙もらってくるんですけど?
読んでくれます?
ん、これ(手紙読みながら)
(手紙の文章)
全面的に冥王星氏に協力すること。
協力しない場合は解雇
くれぐれも失礼なきように
そういうことなので、お願いします
アンタもイジメなのね?
あれですよ。好きな子に素直になれない・・・ツンデレみたいな?
ご主人様は基本的には「いじられキャラ」なんですから諦めて・・サクっとっとね
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
これ見えますよね?(手紙をフリフリしながら)
JYAOOOOOOOOOO
ありがとうございます。次回もよろしくお願いします。
うらんでやる


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チベットのお話①チベットって何さ
【2008/12/16】 アイコントーク
(無言)
みすずタソだ・・・・萌え
二回目にしてすでにネタに走ったわね・・・
すいません。お約束というか、やっぱり出さないとダメなんですよ
よ~~く分かったわ。
冥王星にとっては、私はネタなのね?
「当たってます」とは、とても言えませんけど、ご愛嬌で
とりあえず、そろそろ本題行かない?一応、政治ブログでしょ。これ
まぁ、でも、この記事は私めの「紅美鈴命」の気持ちの表現の空間、でもありますけど・・・・
私に好意を抱いているのは分かってるけど、私はピザは却下
しょぼ~~ん
さっきも言ったけど、前回も「チベット問題」やってないんだから、今回こそ課題をやりましょう
分かりました。やる気なんですね・・ご主人様
体裁を考えなさい。私の・・・・
始めましょ・・・さっさと
いけず・・・・
もしかして、照れてる?
違う!!
分かりました。
いい加減、始めます
テーマ1:「チベット」とは何か?前編
そもそも「チベット」って、何処のことなの?
いい質問だと思います。とりあえず、地図で解説します。
下の地図の赤い区域が、中国政府が規定しているチベット自治区です。 <br>チベット自治区に隣接している「青海省」「新彊ウイグル自治区」も確認してください。
ついでに密かに、台湾島に「台湾省」って書いてあるのも
中国地図②
中国には自治区が他にあり、
寧夏回教自治区・広西チワン族自治区・内蒙古自治区
と他の自治区でも同じような問題があります。概ね自治区は、中国国境線に関わっていて程度差あれども、中国政府と冷戦状態が多いとも言えます。
へぇ、この領域なのねぇ
はい。一応、正式に規定されているのが 、この赤い枠内で「チベット自治区」という行政区分地になります。
似たような区域で、「チベット高原」と言われる地域があるんですが、これも地図にしますが
中国地図③
チベット高原は不毛の地と言っても差し支えありません。農耕に関しては絶望的ですし、牧畜に関しても山羊に限定されるようですし、チベットが細々と生計を保ってる背景には、相当の飢餓があると思われます。毛皮として山羊の品質が高いわけでもありません。
アンデス山脈のように農耕ができる場所は、チベット高原のラサ近郊のほんの一部だけです。イメージとしては、霧深い山脈が連なる景色が妥当です。
一応、チベット高原の写真のリンク先を貼り付けておきます。
チベット高原の風景
 「チベット高原」と「チベット自治区」というのはほぼ同じじゃないの? 
はい。ほぼ同一ですが、チベット自治区に隣接してる”青海省”、”新彊ウイグル自治区”にも一般的に「チベット高原」と言われる場所があります。
ふ~~ん
で、問題なのが、この隣接している地区にも、かなりのチベット人が存在しています
現状、ダライラマが求めている「チベット」の範囲は、このチベット自治区の留まっている
わけですが、
”チベット自治区以外の区域に住まうチベット人”はどうするべきか?
という問題が残ります。
つまり、ダライの言う自治地域ではチベット人の一部しか救済できない、と
早い話がそうです。
ついでに言えば、”「チベット人」 とは何か?”という問題を孕むんですが、ここでは割愛しますが・・・
明確な「チベット」というものは画定してない、と思ってくれた方が妥当です。
でも、一部でもチベット人が救われるなら、いいんじゃないの?
そういう考え方もありますが、青海省、新彊ウイグル地区などのチベット地区に生活圏がある非チベット人が、チベットに組み込まれるのは、不具合がおきますね
仕方ないんじゃないの?
仕方ない、で済ませることができるのは、他人事だからですよ。
実際、ダライの言う「チベット」に存在する非チベット人(チベットに編入されることに不具合が発生する人) の権利をダライは保障する意向もないですからね。
彼らからすれば、大きな問題です。 考えてみてくださいよ
突然、自分が住んでる場所が、違う国家になったら、色々困るでしょ?巻き込まれる人もいるわけです。
仕方ないんじゃないの?多数の被害者のチベット人を救うために、少数の人間の被害は仕方ないでしょ
量的な功利主義的な考えですね。そういうのがリアルな政治で意味あることもありますが・・・・・
まぁ、ここでは、”「チベット」というものが何か?”というのが不明瞭であることを理解してください。そこがポイントなので
まぁ、チベット自治区が中国政府の言うチベットであるにしても、現実的には、チベット人は、そこ以外でも生活してる、と理解するわ
ご理解頂いて助かります。ご主人様
そんで、「チベット」って何?
剛速球ですねぇ・・・回答に窮することを前言しているんですが・・・・(滝汗)
そこを分かりやすく要約するのが、冥王星の仕事じゃないの?

実は「チベット」という言葉が生まれたのは最近です。
しかも、この「チベット」地域は中国以外では歴史上ではほとんど記述されることもなく、幻の地みたいな扱いもあるのが現実です。
「ムー大陸」的にいえば、チベットは聖域で”黄金郷”、”東方のキリスト教の繁栄地”とか、とんでもない認知が歴史的に長いのが実情です。

ふう~~ん。でいつごろ、「チベット」という言葉が生まれたの?
ぶっちゃけ、不明です。
チベットという地域は、おそらく「チベット人」の住まう場所であることから、「チベット」というようになったと推測します。
安易なネーミングね。
まぁ、地域名称とか総じてそんなものですけどね。ハンガリー、フィンランドとかそうなんですよ。
「モンゴル」という言葉なんか不思議で、モンゴル高原の一部族だったモンゴル族が13世紀に台頭してきて地域を代表する民族として使われるようになったわけで、モンゴル族台頭する以前は、モンゴルという地域も、モンゴル高原という呼称さえないんですよ。
それ以前には、モンゴル族より優勢だったタタール族(韃靼人)から、タタールとも言った時代もありましたしね。
モンゴルやフン族のような事例とチベットは同じなのかな?と自分も調べたことああるんですが、「チベット族」という部族は存在してないんです。
一般的には、チベット人はモンゴロイドで、モンゴル族と同じように遊牧民なんですけどね。チベットという名称の由来そのものは部族名称ではなさそうです。
そうなんだ・・・・
・・・・・・「そ~なのか?」とか出てきませんよねぇ・・・(嘲笑)
そ~なのかぁ・・
・・・・・・・・・・・・・
ル~ミアさん、ちわ・・・
そ~なのかぁ・・
言葉通じないんだから・・・・
とりあえず、ルーミアさん。あっちに「食べていい人類」いるので、あちらへ
(チルノタソを指して)
そ~なのかぁ・・
(ルーミア退場)
チルノ大丈夫かしら?
大丈夫ですよ。⑨ですから
そうね・・⑨だからね
で、割愛しちゃったけど、「チベット人って何?」
また難しい問題を・・・・・
とりあえず回答してみなさいよ
突っ込み場所、満載な回答でいいならしますが・・・
早い話が、チベット高原周辺に住まう部族の総称ですね。
日本みたいな単一民族に近い国家にいると想起できないかもしれませんが、 対立する部族同士であろうと総じて「チベット人」と言ってるわけで、彼らは抵抗する可能性は高いでしょうね。
喧嘩してる関西人と関東人が同じ日本人であることは理解できますけど、フランス人とドイツ人を総じて「ヨーロッパ人」と言ってるようなもんですからね。
どういうこと?
次回にでも話すつもりですが、チベットの歴史というのは、一部の例外の除けば

・部族間対立の歴史
・中国王朝に編入された歴史


の二つしかないんですよ。
イメージ沸かないんだけど・・・早い話がお互い争ってる人間同士で同じ民族として取り扱われてるわけ?
まぁ、そう思っても間違いはないですね。
チベットという大きな枠組みを統合したのは、「吐蕃」というチベット人王朝以外では、中国王朝ですからね。
ふううん・・・そ~なのか
ル~ミアさん言葉が伝染してますよ。ご主人様
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
スルーして・・お願い
はい・・・ご主人様の名誉のために、スルーします。
ありがとう
いえいえ・・ご主人様のためならば・・・・はぁはぁはぁ(鼻息荒く)
「はぁはぁはぁ」しないの!
で、次に問題なのが、
 "チベットは何か?という問題"を放置しているダライ政権や”チベット問題の論者”にも問題があるわけですよ
どういうこと?
政治問題というのは、言葉の問題で紛糾することが多いですよね?
具体的に事例をあげてみて
う~~ん・・・じゃ、もっとも顕著な事例で
「戦闘地域」「非戦闘地域」って区分けは重要な問題ですよね?
そ~ねぇ・・イラク派遣のときも問題になったしね。
そうです。戦闘の可能性が高い地域であっても、「非戦闘地域」と規定されたら困るわけですし、言葉を精査しないと問題が山積しちゃうもんですよ。
政治用語は可能なだけ厳密に定義できないと齟齬が頻発してしまうわけですよ
まぁ、チベットは何か?という問題が重要なのは分かるわ
はい。チベットについて基礎は次回でもやるのですが、そもそも不確定なものなんですよ。その不確定なものを一方的に議論なしで決めようとしている人がいる・・・・のが怖いんですよ。
しかもその人たちは、チベット人の声として、ほんの一部の声しか拾ってないわけですし、大勢が、「中国嫌悪」が前提にある人が多いので
可能なだけ議論で解決してほしいわね。
と、まぁ・・・・二回目は基礎ということで、”「チベット」とは何か?”という問題の前半をやったわけですが、どうですか?
いまいち・・・いまに・・・・かな?
厳しいご指摘で
そもそも、冥王星もよく分かってないって認めるわけだし、分からないのは仕方ないと思うわ
そういう意味での評価ならば、冥王星としては満足です。
で、整理してくれる?
今、整理しようと思った所で、ありがとうございます。
いえいえ・・進めて
・チベットという概念は不明瞭であること
・ダライ政権の指摘する「チベット」の愛念から既に疑問が残ること
・チベット人、チベットという地域からして、不明瞭な状態で政治問題を解決することに無理があること
・上記のような問題についての認知がないこと
つまり、チベット問題に関しては、チベットという言葉の定義の問題がある!
そういう理解でいいのね?
早く言えばそうです。細かく問題提起する部分は今後もありますが、この問題は重要です。その次に重要なのが、情報の信用性の問題です 。
ふうん・・よく分からないけど、まぁ、次回はどうするの?
予定では、チベットの歴史から、「チベットとは?」という問題について解説したいと思います。
解説というよりも、主観を述べているに過ぎませんけど
そもそも、冥王星はどういうスタンスなの?この問題では
基本的には、
チベット問題は政治的に介入することに国益がない
逆に介入の仕方によっては、国益を損じる問題になってしまう
こんなスタンスですね。まぁ、放置しろ、ということです。
ふうん・・・そこらも解説してくれるのよね?今後
その予定ではあります。
ねね・・・チルノの役回りがあったけど、どうしたの?まだ本論で出番ないみたいだけど・・・
香ばしい方々のブログを色々見てるんですが、あまりにも検証する以前の記事ばかりでいい素材がないので、困ってます。
つまり、反論、反証するほどの記事もないと?
平たく言えばそうなります・・・・・
それほど稚拙な展開ばかり、とも言えますが
言いたい放題ね・・・・
まぁ、このブログは閲覧者少ないので、暴言しても反論する人いないですから、気楽なんですよ。
もしかして、私を出汁にして、集客しようとか思ってない?
そんな考えはなくもないですけど、そんなに期待してません。
純粋にご主人様とやりたいだけですから・・・
あっそ・・・・で次回はいつの予定とか聞いちゃダメなの?
はい・・聞いて回答できるほど予定組めませんし
無責任ね
すいません
で、そろそろ”締め”
そうして頂くと有難いです。
また、あれやるの?
今回はこれで・・・(コソコソ)
・・・・・・・・・・・・
お願いします・・・・・(哀願)
仕方ないね・・
ありがとうございます
我不是中国
くれないみすず?
そ~なのかぁ・・
(無言)



チベットのお話(イントロダクション)
【2008/12/16】 アイコントーク
はじめまして、「紅美鈴」です
冥王星です。本人画像は無理です。WED上というか動画に俺の授業がUPされてたりするので、ヘタに画像に公開できません。ごめんなさい
そんなに有名な塾講師でもないのに・・・・・
予備校でもカリスマ講師扱いされてないでしょ?
う~~ん・・・・どうなんだろ
一応、今の塾、予備校を辞めても拾ってくれる場所はそれなりにある・・・そんな程度かな?
なにげに自慢?
なにげに、自己顕示?
なにげに、「俺はすごいんだよ」?
そんな滅相もない。たかが、年俸制の「契約社員」風情です。(滝汗)
あっそ。で、なんで私がこんな「どうでもいいような存在価値のないブログ」に顔出さなきゃならないの?
酷い言いようですけど・・・・・
ご足労頂いたのは他でもありません。
それは美鈴さんに関係ある問題だからですよ(苦笑)
あんた、私が「中国」言われるのがイヤなのを知っててやってるでしょ?
はい。周知しております。
ただ、私(わたくし)めは、美鈴様の「愛の奴隷」を自認しておりまして、「美鈴命」という愛情から登場していただいた次第です。
決して、「中国問題だから」 ではありません。私めの愛情です!愛情ゆえです。
(疑いの眼差しで)信用できないなぁ
信用しようにも貴方疑わしい感じするんだけど?
どうなのよ・・世間的には
ギク・・・ちょっと怖いことを・・・・
私的には最近は、「夜回り先生」、防衛省オンブズマンNPO法人構成員などそれなりに活動しておりまして、そんなに疑わしい人間でもないです。
一応、前科ないですし、無害な人民です・・・たぶん 。
ちょっとマニアックな趣味があったりして趣味は疑われてますが・・・・
どんな趣味?
え?世界史研究とか、世界史研究とか、世界史研究とか、世界史研究とか、世界史研究とか、世界史研究とか、アニメ鑑賞とか、エロゲ鑑賞とか同人誌集めとか、 百合鑑賞とか、 「うほ、いい漢」とか
後半の方はヤバイよね?
まぁ、でも私を出すくらいだから、その筋の人なんでしょうね・・・・・(ぼそ)
ご理解頂いて恐縮です。その筋です。
で、気になってるんだけど、私の「愛の奴隷」ってどういう意味なの?
早い話が、ご主人様と下僕の関係です。
突き詰めれば、私めが下僕であります。ご主人様
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
ペットでもイヤだわ。こんなキモヲタ・ピザ
・・・・・・・・・・・・・・・酷いです。
そんなこと言うなら"チルノタソ"にしちゃいますよ?
アタイったら最強ね。
私の代理でチルノ?
それってバカでも⑨でもいいってこと?
いや・・・そういうわけでもないんですが、できれば⑨じゃなくてチルノタソには、頭の悪い嫌中さん、人権団体の代弁でもしてもらう予定です。
でもいいんですよ。美鈴さんがいいんですけど、イヤならチルノタソ代役でも・・・・
私めの「美鈴命」は美鈴様の意思を尊重したいと思っていますし、美鈴様に嫌われてまでやるつもりはありませんからね。
(私、出番少ないし、最近、チルノばっかりニコ動画目立ってるし、こういう機会でもないと顔出しにならないから、我慢するしかないかな・・・・・)
おや・・・どうしました?ご主人様
(ここは、我慢してこのピザ男を踏み台にして、「紅美鈴」の名前を広く伝える必要があるわね・・我慢我慢)
まだ「中国」とは呼んでないから怒られるはずないだろうけど、本名で呼ぶとなんかなぁ・・・・)
(ご主人様と従者の設定にして切り抜ける計画は死守したいなぁ・・・・)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
(我慢することを決意した)
・・・・・・・・・・・・・・・
(「ご主人様」設定で固定して、ここを死守することに決定した)
我慢してあげるわ。
とりあえず、私のことを紹介してくれない?
そもそも、このブログ読んでる「変わり者」さんは私のことを知らないでしょ?
そうですねぇ。でも、私めでいいのですか?美鈴様の紹介して・・・
アンタ・・・なんて呼べばいいのかしら・・・
でも、なんか不安だから自己紹介くらい自分でするわ。
他人の紹介だと酷いこと言われるし
そうですよ。いくら私めでも、美鈴様に関する事実として、言えないこともありますし
・・・・・・・・・・・・・・
そういうことで、自己紹介お願いします
本名「紅美鈴」
ほん・めいりん、といいます。
間違っても、「本みりん」「中国」とか言わないで
自分で言ってどうするんですか・・・・・
同人ゲームのキャラクターだけど、主人公じゃなくて、敵キャラでボスなんだけど、そんなに強くない設定なのよねぇ・・・・弾幕シューティングだと私の格闘技能が生きないのよねぇ
アタイったら最強ね。
チルノさん最強ですね・・はいはいはい・・・・(スルー、スルー)
続けるけど、「東方プロジェクト」というシリーズゲームとして、その筋の世界では、そこそこ有名です。
”そこそこ”なんてことないですよ。
美鈴命!
まぁ、アンタみたいな変わり者のファンが結構多いみたいで、ゲームの人気投票でTOPだったりするわ
さすが、美鈴様!
(拍手喝采、花吹雪満開、クラッカー連発)
こんなもんでいいかしら
詳しいお話は参照サイトをリンクさせておきますので、ご安心を
任せるわ。
で、私は貴方のことをなんて呼べばいいの?
「美鈴命の愛の奴隷」とでも・・・
却下ね・・・キモヲタファンはイヤじゃないけど、私「二次元」だから
三次元はクソです。二次元命です!
そういうのがキモイって理解しなさいよ
あんた、影では「美鈴は俺の嫁」とか言ってるでしょ
はい・・・その通りです
キモイ・・認めないわ・・私はピザは嫌い
(しょぼ~~ん)
とりあえず、ブログ主なわけでしょ。少しは体裁を考えなさいよ
美鈴様の前では私めは「犬」です
・・・・・キモイ。「キモかわいい」とも思えないわ
・・・・・・・・・・(涙目)
とりあえず、「冥王星」って呼び捨てでいい?
はい。下僕、犬、豚、ピザでもなんでもいいです。
美鈴様の瞳と脳裏に私が存在してるだけでも幸福でございます。
あっそ・・・・
で、私は何したらいいの?
基本的には、ここでは、チベット問題に関して、チルノタソが恥ずかしい言動してくれるので、それを私めが問題提起しまして、それに対してコメントしてもらえればいいです。
難しいことは分からないわよ。私、単なる「門番」だし
はい。専門的で学術的な話は私が解説しますし、美鈴様が理解できるように説明したい、と思ってますので、ドシドシ質問、突っ込みしてください。
それが私めの幸福ですから・・はい
まぁ、やると決めた以上は、私もがんばるわ。
これからよろしくね。冥王星
はい・・ご主人様
その呼び方ってどうなんだろう・・・・(汗)
お気に召しませんか?
面倒になりそうだから、いいわ。それで
ありがとうございます
じゃ、始めましょうか?
はい。そうですね。でも今回はここまでです。
今回は、イントロダクション、対話形式の記事展開のテスト、美鈴様の紹介をメインにしたものでして、次回以降、チベット問題について掘り下げたいと思います。
ええええええええええええ・・・・今回はもう終わり?
終わりです。次回ありますからご安心を
最近、ブログの更新頻度が落ちてるけど、次回はいつなの?
日曜日には更新する予定です
本当なんでしょうね?
はい・・・予定ですが、善処したいと思います。
なにせ、ネタが旬なので、この機会を逃したくないので早く更新したいとは思ってます。
ならいいわ。なるべく早く更新してちょうだい
善処します
はい・・・今回はこれまでですね。
私めは、解説ですので、締めはご主人様がお願いします。
できれば、最後はご主人様の名言で
私の名言なんかあったかしら?
ありますとも・・・ご主人様を語る上で絶対に外せない名言が
もしかして・・・・・
そのもしかして、だと思いますよ
あれを言うのはイヤ!
私も本意ではないですが、最後の言葉として定着させたいので是非に
どうしても?
はい・・・是非に
これ言わないと、降ろされる?
はい。それほど重要な締め言葉なので
・・・・・・・・・・・・・・・・(しばらく考え、覚悟を決めて)
我慢するわ
ありがとうございます
ふう・・・・イヤだなぁ
(ワクワク)
我的名字紅美鈴
アタイったら最強ね。

ちなみに、「東方」好きです。分からない方はスルーでいいですが、BGM最強ですよね・・・・ こういう形式の記事を一度やってみたかったです。まぁ、企画倒れにならないようにシリーズ化できればいいと思いますが・・どうなるやら・・・・


「ダライ・ラマ法王とチベット」①
【2008/10/20】 ダライラマ事務所の欺瞞 ダライ・ラマ法王とチベット
転生者の発見

 現在のダライ・ラマ法王14世は、1935年7月6日、チベット東北部アムド地方のタクツェルという小村で貧しい農家の子として生まれた。この活発で可愛いらしい2歳の幼児ラモ・トゥンドゥプが、先代ダライ・ラマ13世の生まれ変わりと認められたのである。
 1939年、4歳になった生まれ変わりの子供は、チベットの首都ラサへ迎えられる。翌年には、ダライ・ラマ14世として正式に即位し、ポタラ宮の玉座に着く。その際、名前もテンジン・ギャツォと改めた。
 ダライ・ラマ法王は、6歳のときから僧院教育を受け始め、24歳のとき仏教哲学の最終試験を受けた。この試験は、毎年チベット暦の正月に実施される祈願大祭の期間中、ラサのチョカン寺で行われるもので、これに優秀な成績をもって合格。ゲシェー・ララムパという仏教哲学最高位の博士号を取得することになる。
当時のチベット政府は、仏教の非暴力思想に基づき、必要最小限の軍備しか持たず、第2次世界大戦でも厳正中立を守っていたが、アジア文化の1つの極みとして繁栄を続けていたチベットの歴史は、俄かに暗転する。


<現在のダライ・ラマ法王14世は、1935年7月6日、チベット東北部アムド地方のタクツェルという小村で「貧しい農家」の子として生まれた。>
 「ダライラマ自叙伝」の記述では
生家は小農ではあったが、地主に従属する小作人というわけでもなかった。貴族階級でもない。わずかな土地をひとに貸し、自分たちでも大麦、ソバ、とうもろこしなどを栽培しており、ゾモというヤクと牝牛の雑種を5~6頭、80頭あまりの羊やヤギ、2~3頭の馬、2頭のヤクを飼っていたという。生家はチベットならどこにでもあるなんの変哲もないありふれた民家だったという
とのことだが、土地を貸せる身分であったことは、決してチベットの「貧しい農家」ではない。
 チベットにおいて耕作地は非常に限られていることは言うまでもないし、多くの耕作地はラサのチベット仏教世界の所有権になっているのが実情である。
 少ない耕作地を持っている地主であることだけでも農奴封建社会であるチベットでいえば、支配者層であることは言うまでもない。
 自叙伝の記載の真贋は不明確だが、チベット民族の家族構成からすれば、9人目という数は人口と世帯比率からしても異常である。
”チベット人居住区の一世帯当たりは3.2人程度(ラサは都市部として除外した)”
 自叙伝にもあるがダライの長兄(トゥブテン・ジグメ・ノルブ)が高僧に列せられている。
 輪廻転生という儀式は習俗であり自由だが、ダライラマの生家は、チベットでも「貧しい家」ではなく、普通以上の家である。
 自叙伝でも「貧しい」とも指摘していないし、平凡程度の評価であるが、「貧しい」という主観論の怪しさは消えない。
事務所の「貧しい農家」は政治的プロパガンダと断定できるし、ダライ自身の自叙伝からすれば、事実ではない。

<ダライ・ラマ法王は、6歳のときから僧院教育を受け始め、24歳のとき仏教哲学の最終試験を受けた。この試験は、毎年チベット暦の正月に実施される祈願大祭の期間中、ラサのチョカン寺で行われるもので、これに優秀な成績をもって合格。ゲシェー・ララムパという仏教哲学最高位の博士号を取得することになる。 >
 冷静に考えてほしいのだが、「ゲシュー・ララムパ」という学位はチベット独自のものである。しかも、局所的な権威である。
 チベットのラサ世界の主導権を握っているダライとその取り巻きが支配するラサ世界でどれだけ客観性ある評価ができようか?
 日本の皇族の方々の学力は知る由もないが、形式的であっても海外で獲得した学位であるし、客観的に中立な研究機関の評価もある研究論文もある日本の皇族の方々を見ている立場からすれば、自作自演自画自賛の評価でしかない。そうやって内部的な権威付けによってダライ体制は成立しているという意味では、非常に疑問符が付くものがあります。
<仏教の非暴力思想に基づき、必要最小限の軍備しか持たず、第2次世界大戦でも厳正中立を守っていた>
嘘はやめてほしい。
歴史年表には武力的行動が幾度も記述されている
第二次世界大戦中のチベットは「日本軍・国民党軍・共産党軍」の三すくみの状態で何する必要もなくただ、傍観できる立場だったに過ぎない。
中立であったというよりも、チベットは常に余裕のある勢力でもない限りは、放置されてきた世界なのである。
逆説的に言えば、強大化したチベット王朝の誕生のたびに、ブータン・ネパールなどのチベット高原に接する弱小国家は、常にチベットに脅えつづけていたのである。
事実、ダライラマ5世時代には、チベット自身が朝貢外交している。
歴史的には、そのような弱小王朝の歴史は、中立である期間は長い。チベットだけが中立であるわけではない。
 中立であることは事実であるにしてもそれを誇れるような立場ではないことは、大戦間期のチベットとイギリスの関係などからも見えてくる。
1935年
チベット政府、クンブムにいるパンチェンラマに合流するため300名の中国兵が南京を出発したという知らせを受けて、武力で阻止する旨、中国政府に打電。イギリスの武力支援を要求
1936年
カム駐留のチベット軍、中国共産党軍を追って揚子江を越え、デゲなどを掌握。蒋介石が抗議。チベット側は、カムにおける中国国民党軍の脆弱さを知る

先代ダライの時代などは非暴力など到底言えないし、なによりダライラマ5世はブータン・ネパールと侵略行為を繰り返しているのが17世紀以後のダライ体制である。
特に生臭い闘争の歴史をしているのが、ダライラマ13世で、そのチベット仏教の動向を年表もある。
関連年表
ダライラマの非暴力」などという虚飾はずっと続いてることだが、ダライラマ事務所もダライ政権も、
「良き仏教徒」の演出に懸命であり、それに騙されているのが多いのだろう。
 もっとも、仏教徒が決して平和主義ではないのは、東南アジアの近代化の混迷などを考えれば確信的に否定できるし、国家主義共産主義と一般宗教の化学変化が東南アジアの歴史という歴史家が圧倒的である。
 平和主義と宗教は関係ないものであるし、平和主義というのは程度の差はあれど普遍性のある概念であると言えるが・・・・
<アジア文化の1つの極みとして繁栄を続けていたチベットの歴史は、俄かに暗転する。>
 これに関しては、逆説的にチベット仏教の代表者を自称しているダライ体制に対して、痛烈な批判ができるだろう。
 中国の少数民族は数が多い。その中でナシ族を筆頭として、チベット仏教ではなくボン教の背景が強い民族文化を持っている民族が多い。
 しかし、それらはチベット仏教という側面がありながらも、ラマ世界のチベット仏教と同一視されている。

 これは、チベット仏教=ラサ世界=チベットという誤解を生んでいる。
 チベット仏=ラサ世界でもないし、チベット仏教の指し示す範囲は広い。
ボン教とその派生形の宗教までチベット仏教のように言動するダライ事務所の傲慢さは
”ダライ体制が起こしている民族浄化”と言える。

 チベット民族であってもラマ教ではなくボン教信者もいるし、チベット民族以外でも、ボン教のエッセンスを強くもった自然崇拝が
チベット仏教と混同されているのは、むしろ、多くの市民の無知が原因だが、チベット仏教の代表を自称するダライ体制の責任は大きい。
 以前、「九賽溝」の誤解についても指摘したが、「トンパ文字」に関してもチベット仏教という見解が存在している。
 チベット仏教自身の責任ではないが、トンパ文字の文化的価値をチベット仏教が介在した結果、色褪せている。
 なにより、このトンパ文字で知られるナシ族の文化を破壊したのは、チベット統一王朝である「吐蕃」である。
 チベット仏教の妥当な理解はほとんど今の社会には介在していない。
それは、ダライラマの宣伝活動の結果であろう。
そこには、チベット仏教の誤解とその誤解で利するダライ体制の背後関係があるのである。

ちょっとした感想を
 セレブがセレブである状態を維持するために、お互いの社会的価値を高め続ける必要性がある。
A、B,C、Dという著名人がいるとしよう。
 セレブと言われる人間は、各々、お互いを引き出しにする。
例えば、Aという人の著作出版記念日に、Bという著名人を呼ぶことで、AとBの相対価値が上がる。
その見返りに、Bが必要な時には、Aも協力する。
これは人間の協力関係である一方で、相互に価値を高めるための詐術である面もある。
相対価値のある人間同士が己の価値ではなく、付帯してきた別の価値と結託して、自分の価値を高めるのである。
そこには、自分というブランド価値がある。
こうやて、セレブはセレブとしての価値を高め、連携してゆくのだが、それが歪んだ利益関係になることがある。
 ダライラマはその典型例だろう。彼の外交活動は、彼自身が死地に乗り込むことはない。
常に代理人特使を立てて、自分は常に安全な場所にいる。
「ダライは非暴力主義ではない」という記事でも説明したように彼は、決して非暴力行動を徹底した自分ではない。逆に彼は高い位置から、民衆を扇動していた一方で、彼自身は責任逃れをしつづけている。
その結果論の集大成が「亡命政府」である。
チベットの高度な自治を求め、チベットの最高指導者であるならば、中国当局の承認の元に、自治政府の指導者としての責任を果たす道理があるはずだ。
しかし、彼はその責任からも逃げた。表層的に自分は最高指導者であると自称しながら、彼はチベットに関する政治責任を果たしたのだろうか?

 安倍総理・福田総理の辞職を「逃げた」という人がいる。では、彼らが逃げであるならば、ダライラマは「逃げ」ではないと言えるだろうか?
 責任者としての資質を持っているとは思えない数々の行動をどうやっても肯定できない。
そもそも、チベットに関する情報の真贋もあるが、チベットの理解深度はどの程度であろうか?




「チベットの国家元首、そして精神的指導者であるダライ・ラマ法王」
【2008/10/18】 ダライラマ事務所の欺瞞 「チベットの国家元首、そして精神的指導者であるダライ・ラマ法王」より
チベットには非常に古い歴史があると伝承されているが、7世紀にソンツェン・ガムポという偉大な王が現れ、アジア有数の大国として広く知られるようになった。
そしてインドの仏教がチベットに伝来すると、これを精神的な支柱として、チベット人たちは独自の民族文化を開花させた。

下って17世紀になると、ダライ・ラマ法王をチベット全土の政教両面に渡る最高指導者とする体制が確立され、チベットは平和な宗教国家として、新たな道を歩み始めることになったのである。
その頃、チベット仏教は、モンゴル、満州、そして北京にまで広まり、アジア大陸の広範な地域で文化交流が盛んになったのである。
ダライ・ラマ法王は、チベットの国家元首でチベット人の精神的指導者でもある。「ダライ・ラマ」とは、モンゴル語の尊称で「智慧の海」という意味である。
歴代のダライ・ラマは、慈悲の具現者たる観自在菩薩の化身とされている。観自在菩薩は、悟りの境地を得ながらも自らのために涅槃を求めず、人々を救済するため輪廻世界に生まれ変わるとチベット仏教では信じられている。あらゆるチベット人は、ダライ・ラマ法王と極めて強い絆で結ばれており、とても言葉で表現することは出来ない。
チベット人にとって、ダライ・ラマとは、祖国の全ての象徴に他ならない。そして強健な人々… これらの要素がダライ・ラマと分かち難く結びついており、敬虔な仏教の信仰とあいまってチベットの人々はダライ・ラマ法王に対し、いつも絶大な尊敬と信頼を寄せている。


<7世紀にソンツェン・ガムポという偉大な王が現れ、アジア有数の大国として広く知られるようになった。>
 ”アジア有数”という抽象的な表現の是非は大いに疑問がある。
ソンツェンガンポ王は伝説上の偉人であり、史実的根拠に関しては些か疑問符が尽きない。
日本の「聖徳太子」も実在が疑われているが、ソンツェンカンポ王に関する問題では、通俗的に「吐蕃」の建国者と言われているが、中国の文献以外には、彼の名前は存在しない。
「吐蕃」王朝は遊牧民族的特長(遊牧民ではない)である特定の部族規模になると大国になるという特徴を北方遊牧民と同じくもっていることもあり、大きな版図を確保し、唐王朝の対等とも言える状況になった。しかし、”アジア有数”というならば当時の唐王朝とは比肩するまでもなく、突厥・エフタルなどの北方遊牧民の版図に比べれば面積的にも大きくない。
 同時に、その王朝は封建社会の緩やかな同盟体であり、内訌内乱の歴史が「吐蕃」自身の歴史とも言える。
 アジア有数という贔屓目の根拠はせいぜい、「初めてのチベット高原統一国家」という部分であり、不毛・不作の土地であるチベットの価値は現代よりも低いことは言うまでもない。
 イメージかすれば、アイヌ民族の一部族が昔の蝦夷地全域を支配していた程度の話である。
 同時に、「吐蕃」という王朝名称そのものは中国が知らせたものであり、チベット民族が知らしめたものではない。言語的発展が未熟な当時のチベットが当時の王朝の勢力をどこまで正確に把握し、喧伝できたのか?と言えば、それこそ文献もないのであり、疑う素地が多いのは言うまでもない。
(補足的意見)
 チンギス・ハンのモンゴル帝国は史上最大の帝国版図を誇ったと言われますが、正確にはチンギス・ハンの時代よりも、オゴダイ・ハンの時代が最大版図であり、統一王朝としてのモンゴルは、フビライ・ハンの時代で終焉を迎えている。
 世俗的にモンゴル帝国の版図というのは、モンゴル族で収めた地域であっても、同一王朝による支配ではない。
 そして、もっとも冷静に受け止めるべきは、その版図の内実である。
 不毛・不作とまでいえないが、厳しいシベリア・中央アジアの自然環境は当時の温暖化した状況でも定住農耕には適していない。
 そして、モンゴル帝国は比較的高緯度の版図であるがために、メルカトル図法の弱点である高緯度地域の面積が広がってしまうことからも、実際のモンゴル帝国の版図の理解を歪めている


<そしてインドの仏教がチベットに伝来すると、これを精神的な支柱として、チベット人たちは独自の民族文化を開花させた。>
 ”インドの仏教がチベットに伝来する”という以前の契機についてダライラマ事務所は”不都合な事実”から明確に逃避している。
ソンツェン・ガンポ王の晩年、唐とネパールから迎えられた王妃がそれぞれ、ラモチェ(小招寺)、トゥルナン(大招寺)の2寺を建立。王室には仏教信仰が残る。
761年 ティソンデツェン王が仏教を国教化する決意、使を唐やネパールに送る
 チベットは仏教が入り込む前は、ボン教という自然崇拝の国家である。そこに為政者側の都合のいい仏教が為政者によってもたらされただけなのである。
 そしてその仏教化にソンツェンカンポが多大な影響をもたらしたのが、ソンツェンカンポの二人の奥方であり、その中には、中国の唐王朝の皇帝の娘がおり、今、チベット仏教の聖地の一つが、この中国皇帝の娘(文成公主)である。
 同時にこれは知られていないが、現代のチベット仏教は、日本の仏教のように土着信仰とのハイブリット化が進んでいる。
 ボン教に関しては資料が少なく学術的研究が進んでいないが、存在していたことを否定する学者はいない。
 そしてこのボン教はチベット仏教の取り込まれるように取り扱われますが、果たしてそれが事実なのでしょうか?
 世界遺産で有名な場所で九寨溝(きゅうさいこう)という場所があります。ここは、チベット仏教の地域と言われますが、ボン教の人が圧倒的多いことは知られていません。
 そもそも、ボン教とチベット仏教の相違点はほとんどありません。相互に影響を受け合い形式的には大差がありませんが、ボン教徒とチベット仏教の巡礼方法が違うことなどで分岐することが可能です。
 そして、九寨溝地域は明らかにボン教が圧倒的多数です。
 これは、単純に言えば、「多数派であるチベット仏教がボン教を飲み込んでしまった」という安易な理解と言えます。
 ヘタな宗教本ではボン教=チベット仏教、よくても、ボン教は”チベット仏教ニンマ派”という認識がほとんどです。
 ボン教と確定するために一番の目安はタルチョと呼ばれる祈祷旗です。
タルーチ
私が知る限りでは、このタルチュはチベット民族の各地に点在しますし、彼らは中国の文化革命以後、中国当局によって取り締まりを受けたという報告はありません。
 チベット仏教そのものがボン教の影響を強く受けていることは学術的見解の否定は行われていません。逆説的に言えば、外来の仏教がボン教と同化し、世俗権力の支援があって発展したのがチベット仏教と言えるでしょう。
チベット民族にとっての精神的支柱として仏教の存在を否定することはできないでしょう。しかし、ボン教というベースなしにチベット仏教が存在できたとは言い切れないでしょう。
 ダライラマ事務所は”不都合な事実”として、
チベットの仏教導入の契機
ボン教とチベット民族の関係
を無視しようとしているようですが、これは多様性ある社会を想定した擬似的政府としては些か野蛮といわざるを得ないでしょう。
 日本人の宗教観にアイヌ的な自然崇拝のエッセンスも実態としてあるにも関わらず、それを無視している日本人にも同じことが言えるかもしれません。 
 文化とはハイブリット化し、自然淘汰で適応性によって残存するものでありましょう。

<ダライ・ラマ法王をチベット全土の政教両面に渡る最高指導者とする体制が確立され、チベットは平和な宗教国家として、新たな道を歩み始めることになったのである。>
ここの記述は、あくまでも自称である。
17世紀にモンゴルのアルタイ・ハンがダライラマという名称を作った事実はあるが、最高指導者と規定した根拠は一つとしてない。
 何より、このダライラマという名称の怪しさの局地は、アルタイ・ハンがダライラマという名称を与えてから、ゲルク派が宗派としての立場強化のために、ゲルク派の始祖をダライラマ1世としたことに問題点がある。
 アルタイ・ハンが1世・2世という取り扱いを認めているわけではないのである。
「チベット仏教の最高指導者としての権威性の根源はダライラマにあるのか?」といえば、そのような規定はどこにもない。
あくまでも”自称”に過ぎないのである。
 現実にダライラマの宗教的権威性は別にしてもダライラマ体制が政治的権力があったという証明はどこにもないし、証明作業さえ行われていない。
ダライラマ事務所の「チベットの歴史」という項目でも、ダライラマ体制の政治について語られていない。
 チベットは8世紀中盤には歴史文献が登場するはずであるし、文化大革命の影響で歴史書が散逸するにしても全部無くなるとは想定できるものではない。
 ダライラマ体制なるチベットの支配体制の歴史などそもそも存在していた証拠もないのである。
 形式的に外交窓口としてのダライラマの権威性は、当時のチベット仏教最大派閥のゲルク派トップとして存在していたかもしれないが、チベット仏教の各派ともダライラマをトップと認めたわけでもないのである。 
 そして、もっとも危惧するべきは、ダライ体制という時代があったとして「平和であった」という事実関係である。
 たびたびお世話になるWIKIなので是非、興味ある方はブックマークをお勧めしますが
チベット史年表 〜さんからダライ治世の血生臭い歴史を紐解きましょう。
ダライラマ4世時代
・1605年
モンゴルからチベットまでダライラマを護衛してきたモンゴル人騎兵、カルマ紅帽派を襲撃
ツァン派首長でカルマ派の支持者だったカルマ・テンスン・ワンポが大軍を率いてモンゴル兵を駆逐カルマ派,シンシャクパにゲルク派施主層を襲わせる
デープン寺兜率宮の強硬派、紅帽派がダライラマの出家剃髪などに対して寄せた祝辞に悪意が寓されているとして、モンゴル人を唆し、紅帽派の牲畜を奪わせる。これに対し当時の名目上の政府であったパクモドゥ氏とツァン軍が、兜率宮と共謀していたキシュ管領の軍を破り、甚大な損害を与える
ダライラマ5世の時代
・1642年
グシ汗、チベット王の位に就く
グシ汗、ダライラマを推戴し、自らはチベット国王の座に登り、ソナム・チュンペーをデスィーに任命。ここにモンゴル人による全チベットの覇王が実現

グシ・ハーン、チベット全土を平定し、チベットの支配権を正式にダライラマに献上
・1644年
モン族僧院群・ブータン間の紛争をグシ汗とソナム・チュンペルが調査。
モンへの援軍としてブータンに700のモンゴル兵とチベット軍を派遣するが敗走。
ダライラマ政権、ブータン攻撃
・1647年
ブータンとの間に再度戦争(チベット・ブータン間では日常茶飯事ではあるが)
・1661年
ネパールとの間に国境紛争。チベット軍が派遣され、ネパール人暴徒を駆逐(ネパールとの最初の衝突)

ゲルク派に抵抗する勢力をモンゴル人に駆逐させたり、ブータン・ネパールなどに侵攻するダライラマ体制が「平和な宗教国家」でしょうか?

<④チベット仏教は、モンゴル、満州、そして北京にまで広まり、アジア大陸の広範な地域で文化交流が盛んになったのである。>
 事実を歪曲している。
当時に明王朝は決して交流政策ではなく、鎖国政策であったし、アジアの大航海時代はまだ先の話である。
そもそも、この時代もチベットの歴史は、モンゴル人とチベット人による支配二重構造であり、混乱した時代である。
 そして、チベット仏教がモンゴル・中国に普及するのは、サキャ派時代であり、ダライラマ体制という論拠は一つとし存在しない。
 パスパとフラビイの関係はモンゴル・中国のチベット仏教の関係構築に貢献としたことは否定しようがないが、それ以後、中国支配者はチベット仏教に改修したこともないし、チベット仏教信者が中国で増えたわけでもない。
モンゴルの有力者がチベット高原侵略後に改宗しているが、彼らはチベット仏教でもゲルク派ではない。
(補足的意見)
「チベット仏教」=「ラマ教」=「ボン教」のような非常に乱暴な見解があるが、この妥当性に関しての嫌疑は非常に多いし、学術的には、分岐がされている。
細かい分岐であるという指摘もあるが、チベット仏教=密教、という考え方に関しても妥当性がないという識者は多数存在する。
文中でも話に上った「九塞溝」などはその典型例で
「安易な理解が誤解を生んだ典型例」で言えるだろう。
そもそも、乱暴な言説において、”チベット仏教をカテゴライズ・定義できるものではない”問題がある。
イスラム教のシーア派・スンナ派などは実態としても思想的にも明確な相違点があるにも関わらず、乱暴に同じように扱われる部分などは「乱暴な言説」の象徴性だろう。
 チベット仏教も「チベット」もそもそも乱暴な言説による乱暴な見解で固まっているものが圧倒的である。それを助長するのが、ダライラマ事務所や中国当局が発するロビー情報である。
本サイトでは可能なだけ中立性の持つことに主眼をおいているが、
ダライラマの虚偽性・欺瞞性は筆舌を挫くほど破廉恥であり、一般社会のチベット理解をミスリーディングしていると看破する必要性があるだろう。 


ダライ・ラマ法王は、チベットの国家元首でチベット人の精神的指導者でもある。「ダライ・ラマ」とは、モンゴル語の尊称で「智慧の海」という意味である。
冷静に考えてみると不思議なことがある。
 モンゴル語の名称を使うという意味不明なアイデンティティである。
 チベット人からすれば、チベット語の名称があるわけであり、
「今上天皇」の地位を「天皇」ではなく「The Emperor」と言って喜ぶマインドがあるだろうか?
ダライラマという権威性の由来は、アルタイハンというモンゴルの有力者が与えた名称であり、モンゴルはチベットの実質的支配者だった時代に形式的に支配権が与えられただけで、
”最高指導者”という自称し、政治実権はモンゴル人に支配されているダライラマ体制の内実は如何なものだろうか?
日本の天皇家は真贋は別にしても万世一系であるが、ダライラマは輪廻転生の理屈にしても、その理屈は頓挫している部分が多々ある。
 そもそも、チベットが「国家」である構成要件を満たしているわけではないことも明白である。
モンテビデオ条約などにもあるが、国家の構成要件は、
A:永久的住民
B:明確な領域
C:政府、外交能力を持つもの
とあり、チベットのダライラマ亡命政府は、全て持ち合わせていないのである。
したがって、「国家」ではないし、国家承認してる国は亡命政府との実態的政治関係は発生していないことから、承認されている形式さえ存在しないと言えるだろう。

<あらゆるチベット人は、ダライ・ラマ法王と極めて強い絆で結ばれており、とても言葉で表現することは出来ない。チベット人にとって、ダライ・ラマとは、祖国の全ての象徴に他ならない。>
大きく出たが「あらゆる」とは普遍性があることだが、見事に否定できる。
私の知り合いのチベットのニャオン生活者はアンチではないが、ダライラマを否定している。
彼は一橋大学で社会学を勉強していた学生で、チベット人であることを隠していた。
チベット人と漢民族の差異は、服装によって誤魔化しが可能でもあるので判別が利かない。
彼を知る機会を得たのが教職課程での何気ないやり取りなのだが、今回は割愛する。
彼の手紙を引用しておく(当時はメールではなく手紙)
ダライラマというチベットの象徴的存在は、チベット民族の全体像の多くを締めることは紛れもない事実である。
しかし、逆説的に言えば、ダライ派というラマ僧以外はラサには存在しえないのも厳然たる事実である。
ニンマ派、サキャ派などのチベット仏教のマイノリティはまるで存在しないようにダライはゲルク派だけを問題にしていることは、偏向性のある主張である。
チベットは決してダライ派で固まった世界ではないし、ラサの権限を否定する部族もまだ多数存在する。
それらの民族が表立って、ダライの支配体制を批判できないのは、ダライと中国との過去の関係と圧倒的多数のダライ派チベット人の暴力に怯えているに過ぎない。
 中国のネット規制は、ダライ支配否定派の言動さえも封じているが、そこにはダライと中国当局の権力的妥協の産物があると考えることもできる。
チベットに対する無知が生むチベット世界への偏見はダライ派にとっては、都合のいい誤解であるが、私のようなチベット人には本当が見えない世界世論でしかない。
個人として責任をもって主張できることだが、ダライ派は確実に非ダライ派の自由を侵害している。
中国当局の人権蹂躙は、非ダライ派までは及ばない。
ダライ派は単なる世俗的破壊活動家集団でしかなく、利害関係の一致で中国とも連携できるだろう。
ダライラマがノーベル平和賞を貰った当時に私は、ノーベル賞とノーベルの発明の皮肉の話を引用したことがあるが、ダライラマは決して平和主義者ではなく、むしろ、「破戒僧」であるという認識が私には支配的である。

この文章を頭から肯定することはできないが、この文面の内容を暗示する事実は散在するのである。
現在のラサ世界には、ゲルク派僧侶が大半を締めている。チベット人民のゲルク派の数は不明だが
あくまでも、ゲルク派は一宗派に過ぎないものであり、「ダライラマ=チベット仏教」ではない。
そもそも「あらゆる」ということは、「チベットには宗教的自由がなく全て強制されている」という可能性が高い。(独裁体制における選挙投票率を同じ理屈だろうか?)
チベットのダライラマ体制が宗教的自由を認めていない可能性があり、恐怖支配でもしているのだろうか?
悪意的な見方とリアリティからすれば、「あらゆる」は異常であり、妄言であることは冷静さがあれば推測できるものである

ロビー活動とも言うべき、贔屓の強い文面に疑問符は尽きない。
何より、このダライラマ事務所の文章の内容が欺瞞に満ちているのである。

蛇足だがチベット系でもダライ派のメディアとして有名なのが
大紀天時報なのだが、別にチベットの「東スポ」ではない。一般の紙面である。
香ばしいネタがあるので是非、チベットのダライ派の思考回路を垣間見てほしい

さて、次回は、カテゴリーを変えて「ダライラマの非暴力主義の幻想」というテーマで
ダライラマ自身の欺瞞を明確化したい。






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