ダライラマを疑え
真の”チベットの自由”のためのチベット論
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非暴力主義ではないダライラマ14世
【2008/10/18】 ダライラマ考察
   ダライラマ   
 ダライ事務所ではダライのノーベル平和賞受賞を掲載している。
ダライ・ラマ 法王によるノーベル平和賞受賞スピーチ
1959年~現在まで、ダライ・ラマ法王は、平和のメッセージ、非暴力主義、宗教間の相互理解、世界的な問題に対する責任感と慈悲心が認められ、30を越える名誉博士の学位や各賞が授与されました。
とあるが、この中身を精査してみたい。

<非暴力主義>
ダライのノーベル平和賞受賞のスピーチでは非暴力主義に関して以下のように述べている
私はこの賞を、非暴力の活動をもって変革をめざすという現代的伝統の基礎を築いた人物 、マハトマ・ガンジーへの賛辞としてお受けします。ガンジーの一生は、私に多くを教え励ましてくれるものでした。

 ガンディ氏とダライでは話が非暴力主義の内容に大きな隔たりがあることを説明したい。
 ダライラマの政治闘争の歴史は、ガンディー氏と比較すれば暴力に満ち溢れている。
1956年の「チベット動乱」において、ダライは「暴力をやめるように」とは指導していない。
ガンディー氏が”暴力を制止した”非暴力であることに比肩すれば、明らかに非暴力性において程度が低いのは判るだろう。
1959年の「チベット蜂起」についても、上記と同じように、ダライは暴力行為を諌めた発言はしていない。
つい最近、フランスメディアの報道で以下のような話が暴露されている
<ダライ・ラマ>仏テレビが異例の批判、CIAとの関係も―中国メディア(レコードチャイナ)要約すれば
「政治不干渉の宗教的指導者」と称する彼の矛盾した言動に注目。今年の訪仏前に「政治的活動は行わない」とマスコミに宣言しながら、訪仏後は上院議員30人を前に「中国のチベット弾圧」を訴え、同国政界の反中感情を煽っていた。
チベットの歴史に関しては、14世紀以降のチベットの世界から取り残された封建的統治について紹介し、ダライ・ラマが逃亡するまで同地で行っていた専制政治についても詳しく説明していた。
ダライ・ラマと米CIAとの深い関係についても番組は暴露しており、1956年から1973年まで毎年130万ドル以上の金銭的援助をCIAから受けていたと報道。米国には彼を支援する富豪が多く、毎年60万ドルを彼に渡す者もいるため、「ダライ・ラマは大富豪だ」と視聴者に訴えていた。

このゴシップ報道の真贋は不明だが、冷戦時代の中国はアメリカの標的であり、CIAが盛んにチベットに武器供給していたことはアメリカ政府も否定しない事実である。
同時に、ダライラマ支持者の富豪について実名が幾人が出ているのである。
ダライラマの人脈はガンディ・キング牧師のような下層民との関係ではなく、各国のセレブ・実力者とのパイプがほとんどであることも大きな違いだろう。(むしろ、ダライは世俗的メディアを駆使する扇動家のような側面が強いというべきだろう)
このような素地がガンディー氏にはゴシップにしても見当たらない。
ダライ事務所のページでは以下のように書いてある
 普遍的立場
チベットへ真の自由をもたらすための運動をすすめてゆくにあたり、あくまで非暴力に徹するという強い信念を法王は堅持している。
「中国側がチベット人に加えてきた様々な攻撃やおびただしい弾圧についてもそのような事実を明らかにすることはどうしても必要であるが、中国人そのものに対する憎悪の念を抱くことは決してない」
というのが、法王の基本的な考え方である。法王は、まさしく「平和の人」である。1989年、法王はノーベル平和賞受賞の栄誉に輝いたのは、祖国チベットに自由をもたらすための運動を通じ、決して暴力に訴えることなく平和的手段を貫いてきたことが、国際的に高く評価された結果に他ならない。いかに理不尽な攻撃に直面したときでも、法王は一貫して非暴力政策を提唱し続けてきた。また、法王の受賞理由の1つには、地球環境問題への取り組みも挙げられており、これはノーベル賞の歴史で初めてのことである。

「中国側がチベット人に加えてきた様々な攻撃やおびただしい弾圧についてもそのような事実を明らかにすることはどうしても必要であるが、中国人そのものに対する憎悪の念を抱くことは決してない」という発言がどこまで信用できるだろうか?
「ダライの行動・発言は過激派を生み出し、世界中に中国共産党政府への憎悪に駆り立てている」と言えるのではないだろうか?
 非暴力的である少しの側面をダライに認めるとして、ガンディ、キング牧師との比較は気の毒であるかもしれないが、やはり常人として政治家としても疑問視される行動が
「ダライのインド亡命である。」
 当時、中国との国境紛争を抱えていたインドは、宗教的背景もあるが、ダライラマを亡命政府として迎えた。その行為は、中国インドの外交関係の悪化に貢献した。
その後、中国インドは政治的に亡命政権の法的正当性を否定するに至ったものであり、インドの亡命政府でもない、私的組織であり、「政府」でもないのが国際法的な妥当な認識である。
 ダライの亡命によって求心力をなくしたチベット暴徒は暴徒化し、中国当局の支配に対して武力闘争を展開するのである。
ダライが「非暴力主義」であるならば、亡命せずにチベット民衆を非暴力に誘導する責務があるはずである。ダライがチベットの最高指導者を自称するならば、なお更のはずであろう。
単なる政治活動家であるガンディ・キング牧師と比較して責任感がないと言わざるを得ない。
ダライは自称にしても、チベットの最高指導者なのであるはずだが・・・・
補足意見
ガンディは投獄され獄中活動を行い法的正当性を確立し、キング牧師も法的正当性は常逸していない。
人権活動家で逃げ回っている活動家に関しては、思想的自由を求める一方で法的正当性に対する尊重がないことは非常に憂慮すべきではないだろうか?

あえて、ガンディ氏の非暴力主義にあって、ダライにないものを提示するならば
・身を投げても非暴力主義を達成するための、自己犠牲精神
・被支配者層に対する宗教的配慮

 ガンディ氏と比肩して自分が劣ることはダライ自身が自覚していることは、受賞スピーチでわかるが
同じく非暴力主義のマーティン・ルーサー・キング牧師(以後「キング牧師」)ほど法的正義を確立するまで至らずにいる。
そもそも、ガンディ・キング牧師のように徹底した「暴力を制止する」活動をしていないダライが二人に比肩するというのは、甚だ史実的認識に疑問符が付くものであろう。
 ガンディ氏は差別問題にも関わった。しかし、今のチベット社会は未だに、農奴と想定できる職業人が存在していることはあまり指摘されない事実である。
残酷という表現は我々の価値観だが、チベット仏教世界は、古代世界と同じく農奴の上に成り立っていた社会であり、チベット支配者がチベット仏教に農奴・農作物を寄進して、政教合同してチベットを支配していたのである。それもダライラマ14世即位まで続いていたのは、紛れもない事実である。
せっかくなのでこの記事よりもよほど優秀なサイトをご紹介しておく
長い文章と多少の歴史知識を前提とするが、全体像を掴む上では、もっとも妥当性のあるサイトである。「チベットの未来」

<宗教間の相互理解>
 彼が宗教観の相互理解を主張できる立場ではない。
 カギュー派内の活仏論争では、彼は中国政府と協力して、カルマパ17世をチベット仏教第三位の活仏としてカギュー派の承認なしに規定している。
 チベット仏教に関しても、ボン教の背後関係の研究がチベット仏教内部でも研究が行われていない。海外でもボン教とチベット仏教の区分を研究している人はいない。しかし、世俗的にも明らかにボン教と言える人民が中国・チベット各地にいることをダライもダライ事務所も指摘しようとしない。

今回は、ダライラマの非暴力性の実像をテーマにしました。
そもそも、ダライラマ体制(17世紀以後)事態が、宗教的権威性に追随した支配者に使役した支配であり、その支配時代について、ダライ事務所も語ることはない。語ればダライ体制の根本部分を崩壊させることになるからである。

中国の「チベットの農奴解放」という美辞麗句は、捏造ではない。もっとも中国当局が指摘するような大規模な農奴封建社会ではなかった部分はあるが、「チベットの農奴解放」の必要性はダライは認めることはできないのである。
ダライ・その前のダライ・チベットの宗教世界が農奴の上で成り立つ社会を維持した事実は、仏教の教義からの逸脱であり堕落である。(今も堕落しているのだが)
 ダライラマの群像は創価学会の池田大作氏と同じ可能性を示唆できる。
池田大作氏もダライと同じように多くの「名誉博士の学位や各賞が授与されている」のだ。池田大作氏の栄誉の数々
そして、近年、フランスでは「ダライラマ」への冷たい仕打ちが始まっているのだが・・・・
まさか、チベット仏教がカルトということはないだろうが、胡散臭いという悪意的解釈の余地は大きいのである。

次回のテーマは未定ですが、希望がありましたら、是非、コメントなど
   

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「チベットの国家元首、そして精神的指導者であるダライ・ラマ法王」
【2008/10/18】 ダライラマ事務所の欺瞞 「チベットの国家元首、そして精神的指導者であるダライ・ラマ法王」より
チベットには非常に古い歴史があると伝承されているが、7世紀にソンツェン・ガムポという偉大な王が現れ、アジア有数の大国として広く知られるようになった。
そしてインドの仏教がチベットに伝来すると、これを精神的な支柱として、チベット人たちは独自の民族文化を開花させた。

下って17世紀になると、ダライ・ラマ法王をチベット全土の政教両面に渡る最高指導者とする体制が確立され、チベットは平和な宗教国家として、新たな道を歩み始めることになったのである。
その頃、チベット仏教は、モンゴル、満州、そして北京にまで広まり、アジア大陸の広範な地域で文化交流が盛んになったのである。
ダライ・ラマ法王は、チベットの国家元首でチベット人の精神的指導者でもある。「ダライ・ラマ」とは、モンゴル語の尊称で「智慧の海」という意味である。
歴代のダライ・ラマは、慈悲の具現者たる観自在菩薩の化身とされている。観自在菩薩は、悟りの境地を得ながらも自らのために涅槃を求めず、人々を救済するため輪廻世界に生まれ変わるとチベット仏教では信じられている。あらゆるチベット人は、ダライ・ラマ法王と極めて強い絆で結ばれており、とても言葉で表現することは出来ない。
チベット人にとって、ダライ・ラマとは、祖国の全ての象徴に他ならない。そして強健な人々… これらの要素がダライ・ラマと分かち難く結びついており、敬虔な仏教の信仰とあいまってチベットの人々はダライ・ラマ法王に対し、いつも絶大な尊敬と信頼を寄せている。


<7世紀にソンツェン・ガムポという偉大な王が現れ、アジア有数の大国として広く知られるようになった。>
 ”アジア有数”という抽象的な表現の是非は大いに疑問がある。
ソンツェンガンポ王は伝説上の偉人であり、史実的根拠に関しては些か疑問符が尽きない。
日本の「聖徳太子」も実在が疑われているが、ソンツェンカンポ王に関する問題では、通俗的に「吐蕃」の建国者と言われているが、中国の文献以外には、彼の名前は存在しない。
「吐蕃」王朝は遊牧民族的特長(遊牧民ではない)である特定の部族規模になると大国になるという特徴を北方遊牧民と同じくもっていることもあり、大きな版図を確保し、唐王朝の対等とも言える状況になった。しかし、”アジア有数”というならば当時の唐王朝とは比肩するまでもなく、突厥・エフタルなどの北方遊牧民の版図に比べれば面積的にも大きくない。
 同時に、その王朝は封建社会の緩やかな同盟体であり、内訌内乱の歴史が「吐蕃」自身の歴史とも言える。
 アジア有数という贔屓目の根拠はせいぜい、「初めてのチベット高原統一国家」という部分であり、不毛・不作の土地であるチベットの価値は現代よりも低いことは言うまでもない。
 イメージかすれば、アイヌ民族の一部族が昔の蝦夷地全域を支配していた程度の話である。
 同時に、「吐蕃」という王朝名称そのものは中国が知らせたものであり、チベット民族が知らしめたものではない。言語的発展が未熟な当時のチベットが当時の王朝の勢力をどこまで正確に把握し、喧伝できたのか?と言えば、それこそ文献もないのであり、疑う素地が多いのは言うまでもない。
(補足的意見)
 チンギス・ハンのモンゴル帝国は史上最大の帝国版図を誇ったと言われますが、正確にはチンギス・ハンの時代よりも、オゴダイ・ハンの時代が最大版図であり、統一王朝としてのモンゴルは、フビライ・ハンの時代で終焉を迎えている。
 世俗的にモンゴル帝国の版図というのは、モンゴル族で収めた地域であっても、同一王朝による支配ではない。
 そして、もっとも冷静に受け止めるべきは、その版図の内実である。
 不毛・不作とまでいえないが、厳しいシベリア・中央アジアの自然環境は当時の温暖化した状況でも定住農耕には適していない。
 そして、モンゴル帝国は比較的高緯度の版図であるがために、メルカトル図法の弱点である高緯度地域の面積が広がってしまうことからも、実際のモンゴル帝国の版図の理解を歪めている


<そしてインドの仏教がチベットに伝来すると、これを精神的な支柱として、チベット人たちは独自の民族文化を開花させた。>
 ”インドの仏教がチベットに伝来する”という以前の契機についてダライラマ事務所は”不都合な事実”から明確に逃避している。
ソンツェン・ガンポ王の晩年、唐とネパールから迎えられた王妃がそれぞれ、ラモチェ(小招寺)、トゥルナン(大招寺)の2寺を建立。王室には仏教信仰が残る。
761年 ティソンデツェン王が仏教を国教化する決意、使を唐やネパールに送る
 チベットは仏教が入り込む前は、ボン教という自然崇拝の国家である。そこに為政者側の都合のいい仏教が為政者によってもたらされただけなのである。
 そしてその仏教化にソンツェンカンポが多大な影響をもたらしたのが、ソンツェンカンポの二人の奥方であり、その中には、中国の唐王朝の皇帝の娘がおり、今、チベット仏教の聖地の一つが、この中国皇帝の娘(文成公主)である。
 同時にこれは知られていないが、現代のチベット仏教は、日本の仏教のように土着信仰とのハイブリット化が進んでいる。
 ボン教に関しては資料が少なく学術的研究が進んでいないが、存在していたことを否定する学者はいない。
 そしてこのボン教はチベット仏教の取り込まれるように取り扱われますが、果たしてそれが事実なのでしょうか?
 世界遺産で有名な場所で九寨溝(きゅうさいこう)という場所があります。ここは、チベット仏教の地域と言われますが、ボン教の人が圧倒的多いことは知られていません。
 そもそも、ボン教とチベット仏教の相違点はほとんどありません。相互に影響を受け合い形式的には大差がありませんが、ボン教徒とチベット仏教の巡礼方法が違うことなどで分岐することが可能です。
 そして、九寨溝地域は明らかにボン教が圧倒的多数です。
 これは、単純に言えば、「多数派であるチベット仏教がボン教を飲み込んでしまった」という安易な理解と言えます。
 ヘタな宗教本ではボン教=チベット仏教、よくても、ボン教は”チベット仏教ニンマ派”という認識がほとんどです。
 ボン教と確定するために一番の目安はタルチョと呼ばれる祈祷旗です。
タルーチ
私が知る限りでは、このタルチュはチベット民族の各地に点在しますし、彼らは中国の文化革命以後、中国当局によって取り締まりを受けたという報告はありません。
 チベット仏教そのものがボン教の影響を強く受けていることは学術的見解の否定は行われていません。逆説的に言えば、外来の仏教がボン教と同化し、世俗権力の支援があって発展したのがチベット仏教と言えるでしょう。
チベット民族にとっての精神的支柱として仏教の存在を否定することはできないでしょう。しかし、ボン教というベースなしにチベット仏教が存在できたとは言い切れないでしょう。
 ダライラマ事務所は”不都合な事実”として、
チベットの仏教導入の契機
ボン教とチベット民族の関係
を無視しようとしているようですが、これは多様性ある社会を想定した擬似的政府としては些か野蛮といわざるを得ないでしょう。
 日本人の宗教観にアイヌ的な自然崇拝のエッセンスも実態としてあるにも関わらず、それを無視している日本人にも同じことが言えるかもしれません。 
 文化とはハイブリット化し、自然淘汰で適応性によって残存するものでありましょう。

<ダライ・ラマ法王をチベット全土の政教両面に渡る最高指導者とする体制が確立され、チベットは平和な宗教国家として、新たな道を歩み始めることになったのである。>
ここの記述は、あくまでも自称である。
17世紀にモンゴルのアルタイ・ハンがダライラマという名称を作った事実はあるが、最高指導者と規定した根拠は一つとしてない。
 何より、このダライラマという名称の怪しさの局地は、アルタイ・ハンがダライラマという名称を与えてから、ゲルク派が宗派としての立場強化のために、ゲルク派の始祖をダライラマ1世としたことに問題点がある。
 アルタイ・ハンが1世・2世という取り扱いを認めているわけではないのである。
「チベット仏教の最高指導者としての権威性の根源はダライラマにあるのか?」といえば、そのような規定はどこにもない。
あくまでも”自称”に過ぎないのである。
 現実にダライラマの宗教的権威性は別にしてもダライラマ体制が政治的権力があったという証明はどこにもないし、証明作業さえ行われていない。
ダライラマ事務所の「チベットの歴史」という項目でも、ダライラマ体制の政治について語られていない。
 チベットは8世紀中盤には歴史文献が登場するはずであるし、文化大革命の影響で歴史書が散逸するにしても全部無くなるとは想定できるものではない。
 ダライラマ体制なるチベットの支配体制の歴史などそもそも存在していた証拠もないのである。
 形式的に外交窓口としてのダライラマの権威性は、当時のチベット仏教最大派閥のゲルク派トップとして存在していたかもしれないが、チベット仏教の各派ともダライラマをトップと認めたわけでもないのである。 
 そして、もっとも危惧するべきは、ダライ体制という時代があったとして「平和であった」という事実関係である。
 たびたびお世話になるWIKIなので是非、興味ある方はブックマークをお勧めしますが
チベット史年表 〜さんからダライ治世の血生臭い歴史を紐解きましょう。
ダライラマ4世時代
・1605年
モンゴルからチベットまでダライラマを護衛してきたモンゴル人騎兵、カルマ紅帽派を襲撃
ツァン派首長でカルマ派の支持者だったカルマ・テンスン・ワンポが大軍を率いてモンゴル兵を駆逐カルマ派,シンシャクパにゲルク派施主層を襲わせる
デープン寺兜率宮の強硬派、紅帽派がダライラマの出家剃髪などに対して寄せた祝辞に悪意が寓されているとして、モンゴル人を唆し、紅帽派の牲畜を奪わせる。これに対し当時の名目上の政府であったパクモドゥ氏とツァン軍が、兜率宮と共謀していたキシュ管領の軍を破り、甚大な損害を与える
ダライラマ5世の時代
・1642年
グシ汗、チベット王の位に就く
グシ汗、ダライラマを推戴し、自らはチベット国王の座に登り、ソナム・チュンペーをデスィーに任命。ここにモンゴル人による全チベットの覇王が実現

グシ・ハーン、チベット全土を平定し、チベットの支配権を正式にダライラマに献上
・1644年
モン族僧院群・ブータン間の紛争をグシ汗とソナム・チュンペルが調査。
モンへの援軍としてブータンに700のモンゴル兵とチベット軍を派遣するが敗走。
ダライラマ政権、ブータン攻撃
・1647年
ブータンとの間に再度戦争(チベット・ブータン間では日常茶飯事ではあるが)
・1661年
ネパールとの間に国境紛争。チベット軍が派遣され、ネパール人暴徒を駆逐(ネパールとの最初の衝突)

ゲルク派に抵抗する勢力をモンゴル人に駆逐させたり、ブータン・ネパールなどに侵攻するダライラマ体制が「平和な宗教国家」でしょうか?

<④チベット仏教は、モンゴル、満州、そして北京にまで広まり、アジア大陸の広範な地域で文化交流が盛んになったのである。>
 事実を歪曲している。
当時に明王朝は決して交流政策ではなく、鎖国政策であったし、アジアの大航海時代はまだ先の話である。
そもそも、この時代もチベットの歴史は、モンゴル人とチベット人による支配二重構造であり、混乱した時代である。
 そして、チベット仏教がモンゴル・中国に普及するのは、サキャ派時代であり、ダライラマ体制という論拠は一つとし存在しない。
 パスパとフラビイの関係はモンゴル・中国のチベット仏教の関係構築に貢献としたことは否定しようがないが、それ以後、中国支配者はチベット仏教に改修したこともないし、チベット仏教信者が中国で増えたわけでもない。
モンゴルの有力者がチベット高原侵略後に改宗しているが、彼らはチベット仏教でもゲルク派ではない。
(補足的意見)
「チベット仏教」=「ラマ教」=「ボン教」のような非常に乱暴な見解があるが、この妥当性に関しての嫌疑は非常に多いし、学術的には、分岐がされている。
細かい分岐であるという指摘もあるが、チベット仏教=密教、という考え方に関しても妥当性がないという識者は多数存在する。
文中でも話に上った「九塞溝」などはその典型例で
「安易な理解が誤解を生んだ典型例」で言えるだろう。
そもそも、乱暴な言説において、”チベット仏教をカテゴライズ・定義できるものではない”問題がある。
イスラム教のシーア派・スンナ派などは実態としても思想的にも明確な相違点があるにも関わらず、乱暴に同じように扱われる部分などは「乱暴な言説」の象徴性だろう。
 チベット仏教も「チベット」もそもそも乱暴な言説による乱暴な見解で固まっているものが圧倒的である。それを助長するのが、ダライラマ事務所や中国当局が発するロビー情報である。
本サイトでは可能なだけ中立性の持つことに主眼をおいているが、
ダライラマの虚偽性・欺瞞性は筆舌を挫くほど破廉恥であり、一般社会のチベット理解をミスリーディングしていると看破する必要性があるだろう。 


ダライ・ラマ法王は、チベットの国家元首でチベット人の精神的指導者でもある。「ダライ・ラマ」とは、モンゴル語の尊称で「智慧の海」という意味である。
冷静に考えてみると不思議なことがある。
 モンゴル語の名称を使うという意味不明なアイデンティティである。
 チベット人からすれば、チベット語の名称があるわけであり、
「今上天皇」の地位を「天皇」ではなく「The Emperor」と言って喜ぶマインドがあるだろうか?
ダライラマという権威性の由来は、アルタイハンというモンゴルの有力者が与えた名称であり、モンゴルはチベットの実質的支配者だった時代に形式的に支配権が与えられただけで、
”最高指導者”という自称し、政治実権はモンゴル人に支配されているダライラマ体制の内実は如何なものだろうか?
日本の天皇家は真贋は別にしても万世一系であるが、ダライラマは輪廻転生の理屈にしても、その理屈は頓挫している部分が多々ある。
 そもそも、チベットが「国家」である構成要件を満たしているわけではないことも明白である。
モンテビデオ条約などにもあるが、国家の構成要件は、
A:永久的住民
B:明確な領域
C:政府、外交能力を持つもの
とあり、チベットのダライラマ亡命政府は、全て持ち合わせていないのである。
したがって、「国家」ではないし、国家承認してる国は亡命政府との実態的政治関係は発生していないことから、承認されている形式さえ存在しないと言えるだろう。

<あらゆるチベット人は、ダライ・ラマ法王と極めて強い絆で結ばれており、とても言葉で表現することは出来ない。チベット人にとって、ダライ・ラマとは、祖国の全ての象徴に他ならない。>
大きく出たが「あらゆる」とは普遍性があることだが、見事に否定できる。
私の知り合いのチベットのニャオン生活者はアンチではないが、ダライラマを否定している。
彼は一橋大学で社会学を勉強していた学生で、チベット人であることを隠していた。
チベット人と漢民族の差異は、服装によって誤魔化しが可能でもあるので判別が利かない。
彼を知る機会を得たのが教職課程での何気ないやり取りなのだが、今回は割愛する。
彼の手紙を引用しておく(当時はメールではなく手紙)
ダライラマというチベットの象徴的存在は、チベット民族の全体像の多くを締めることは紛れもない事実である。
しかし、逆説的に言えば、ダライ派というラマ僧以外はラサには存在しえないのも厳然たる事実である。
ニンマ派、サキャ派などのチベット仏教のマイノリティはまるで存在しないようにダライはゲルク派だけを問題にしていることは、偏向性のある主張である。
チベットは決してダライ派で固まった世界ではないし、ラサの権限を否定する部族もまだ多数存在する。
それらの民族が表立って、ダライの支配体制を批判できないのは、ダライと中国との過去の関係と圧倒的多数のダライ派チベット人の暴力に怯えているに過ぎない。
 中国のネット規制は、ダライ支配否定派の言動さえも封じているが、そこにはダライと中国当局の権力的妥協の産物があると考えることもできる。
チベットに対する無知が生むチベット世界への偏見はダライ派にとっては、都合のいい誤解であるが、私のようなチベット人には本当が見えない世界世論でしかない。
個人として責任をもって主張できることだが、ダライ派は確実に非ダライ派の自由を侵害している。
中国当局の人権蹂躙は、非ダライ派までは及ばない。
ダライ派は単なる世俗的破壊活動家集団でしかなく、利害関係の一致で中国とも連携できるだろう。
ダライラマがノーベル平和賞を貰った当時に私は、ノーベル賞とノーベルの発明の皮肉の話を引用したことがあるが、ダライラマは決して平和主義者ではなく、むしろ、「破戒僧」であるという認識が私には支配的である。

この文章を頭から肯定することはできないが、この文面の内容を暗示する事実は散在するのである。
現在のラサ世界には、ゲルク派僧侶が大半を締めている。チベット人民のゲルク派の数は不明だが
あくまでも、ゲルク派は一宗派に過ぎないものであり、「ダライラマ=チベット仏教」ではない。
そもそも「あらゆる」ということは、「チベットには宗教的自由がなく全て強制されている」という可能性が高い。(独裁体制における選挙投票率を同じ理屈だろうか?)
チベットのダライラマ体制が宗教的自由を認めていない可能性があり、恐怖支配でもしているのだろうか?
悪意的な見方とリアリティからすれば、「あらゆる」は異常であり、妄言であることは冷静さがあれば推測できるものである

ロビー活動とも言うべき、贔屓の強い文面に疑問符は尽きない。
何より、このダライラマ事務所の文章の内容が欺瞞に満ちているのである。

蛇足だがチベット系でもダライ派のメディアとして有名なのが
大紀天時報なのだが、別にチベットの「東スポ」ではない。一般の紙面である。
香ばしいネタがあるので是非、チベットのダライ派の思考回路を垣間見てほしい

さて、次回は、カテゴリーを変えて「ダライラマの非暴力主義の幻想」というテーマで
ダライラマ自身の欺瞞を明確化したい。



「ダライラマ事務所の欺瞞」のイントロダクション
【2008/10/18】 総記
   総記   
 カテゴリー「ダライラマ事務所の欺瞞」は不定期ながら、ダライラマ法王日本代表事務所(略して「ダライラマ事務所」)の内容について可能な限り、検証するカテゴリーです。
 引用などについては随時、引用先URLをご案内しますが、ソースの信用性に関しては、ソースのソースまで確認したものであり、少なくともソース的信用性については、
「二次ソースの確認作業まで行われています」
内容の真贋に関しては100%は責任終えませんが、一般社会に流布している動画、画像のように虚飾・捏造の可能性が強く想定されるものは排斥しております。
 


当ブログの趣旨
【2008/10/18】 総記
   総記   
 ブログのタイトル・ブログの説明文のある通り、「ダライラマを疑え」がテーマです。

 部屋の管理人たる私(ヤン・フス)は、
”「ダライラマという人間」を疑う”のではなく
世間に存在する”ダライラマ像”に対して真っ向から相克します。

 これから記事で問題提起してゆきますが、決して圧力を受けたり、利害関係からこのようなブログを作ったものではなく、チベットに関する歴史的無知を是正する必要性から立ち上げました。
 
 私は、歴史家として「歴史を教える」ことを生業としています。
 歴史の一面的だけでチベットが論じられていることを明らかにし、中立的立場と情動や扇情的な報道に歪まないブログであろうと思っています。
 従いまして、一面的事実を強烈に伝えるような刺激の強い画像・動画などは一切使用せず、見解に対する反論の余地が少ない、もしくは、反論に対して私自身が反論できうる事実を提示した上で記事を作成することにします。 

 このサイトの影響で、チベットに関する知識が深まると同時に、妥当性あるチベットの問題認識を導ければ幸いです。






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Author:ヤン・フス
画像は目標の人である「ヤン・フス」当人

歪められたチベットの実像を取り戻し
チベット仏教の宗教改革を求める変人


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