ダライラマを疑え
真の”チベットの自由”のためのチベット論
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チベットのお話②
【2008/12/16】 アイコントーク
三回目を迎えまして、冥王星のアシスタントを招聘します。主に、URL紹介や画像紹介などを担当してもらいながら、補助的説明をしてもらう予定です。
冥王星の主観的な見地などと違って第三者の見地を紹介してくれることになるので、彼女の方が有益な情報を提供してくれることも多いでしょう。
そういうことでご紹介します。
TV版ナデシコのアイドル・電子の妖精:ホシノ・ルリさんでぇ~す☆
(無言)
・・・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・・・・・
ルリルリ・・・挨拶・・・
(無言)
大丈夫なのこの子?
思兼!検索開始
戦国時代に中国から渡来した甘い酒密淋(ミイリン)」が起源という説と、 日本で甘いお酒の腐敗防止のためにアルコールを加えていたのが改良されてミリンになったという説の2つがあります。 最初は飲むためのお酒でしたが、江戸時代の後期になると料亭で甘味料や隠し味として使われるようになります。 特にウナギの蒲焼のタレとそばつゆには欠かせなくなりました。 それが全国的に流行して、調味料としての使われ方が定着したようです。 時代を追う毎に甘味や旨みの濃いものが作られるようになり、戦後に現在の様なミリンになりました。 一般家庭に普及したのは1950年ごろです。
参考
ふうん・・・こういう子なんだ・・・(怒)
こういう子です。
本名:紅美鈴
渾名:本みりん、中国
職業:門番
趣味:昼寝
好きなもの:コッペパン

プ・・・(嘲笑)
殴っていい?
アシスタントなのでそれは困ります。
上司ならもう少し躾しなさいよ!
コミュニケーションスキルは机上で教えることはできませんので、ご主人様が教えてあげてください。
無礼な振る舞いは私の責任でもありますが、彼女の本意ですし
本意だからムカつくんだけど?
ままぁ・・ここは広く穏やかな心で・・・ご主人様は広い広い国土じゃないですか・・・
アンタも殺してあげようか?

しばらくお待ちください。冥王星がボコボコにされております。
バカばっか
あたいったら最強ね!
そ~なのかぁ・・
(無言)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

テーマ2:チベットとは何か?後編
痛いですよ。ご主人様。
少しは手加減してください。冥王星は、パチェ様みたいに「もやしっ子」じゃないですけど、ご主人様ほど肉弾戦得意じゃないんですから。
代理制裁よ。代理
あの子?ルリちゃんだっけ・・・が私に関する問題発言したら即アンタに制裁発動よ!
(無言)
分かりました。とりあえず、自重してもらえるように鋭意善処します。
善処という言葉は、実は”心にだけ留めておく”程度よねぇ・・・
そ~なのかぁ・・
そいういう部分はスルーしてください。
先進まないから本論いきましょう。
はい。そうしましょう。とりあえず、今回は前編の基礎をベースにして、ウィキペディアの「チベット」の説明を解説しますね。ぶっちゃけ、この記事の問題が非常に大きいのですが
まぁ、ウィキペディアの信憑性は私も知ってるわ
で、アンタがそれを補正しながら解説するという志向なわけ?
まぁ、そうなりますねぇ・・・さっそく、ルリルリお願い
思兼。検索開始
ウィキペディアより「チベット」
んじゃ、この資料をベースにして話を始めます。
古代から独立国家であったが
とありますが、具体的には古代とは何時のことなのか?という問題点があります。ここらに関して、現状のチベット代表と想定されているチベット亡命政府のサイトを参照もしてみましょう。
思兼。検索開始
ダライラマ日本代表事務所
チベットの年代譜によれば、初代チベット王がチベットを治めはじめたのは、紀元前127年のことだという。しかし、チベットが統一国家としてソンツェン・ガンポ王の下で強大な帝国になって現れるのは、7世紀に入ってからのことだった。この王の統治下に、政治・軍事の覇権と領土拡張の時代が幕を開け、その隆盛は3世紀もの間、続くことになる。またネパールと唐の王室は、娘をソンツェン・ガンポに嫁がせた。
早速ですが、指摘されている「チベットの年代譜」は何か?不明すぎます。書物であるなら文字があるはずですが、チベットで文字が成立するのは、もっと後のことですし、そもそも「著書の名前」を挙げているサイトはどこにもありません。
ぶっちゃけ、伝承神話の部類でしょう。<
神話での国は「国家」じゃないわね。実存の真贋が明確になるだけの証拠はないの?
私が知る限りではありませんねぇ 。そもそもチベット人が文字を使用したのも、そんなに古くからではないですし、歴史文献としては中国の史書しか登場したこともないわけです
いくら中国政府の歴史捏造の問題があるにしても、全て捏造とするだけの論理的妥当性はありませんからね。
まぁ、そうね。仮に中国の歴史書全てが捏造だったら、シルクロード交易の歴史では、正倉院の話。紙の普及の歴史とか中国由来になるものが全て説明できないしね。
まぁ、残念なことに、チベット古代史に関しては中国の歴史書に頼るしかないわけですが、それがナンセンスという人もいるわけですが、それなら、当然、邪馬台国から古墳時代に関する中国側の歴史資料を全て偽書として取り扱うべきでしょうからね。それができるわけでもないのに、中国の歴史書は捏造と全面的に言うわけですからね。
そ~なのかぁ・・
気持ちは分からなくないわねぇ・・・・だって、三国志演義で指摘されてる兵数とか捏造でしょ?捏造という誇張?
まぁ、そうでしょうね。でも、日本だって、軍記物の「平家物語」「太平記」なんかも同じようなもんで、太平記なんかもっと酷い捏造度合いですからw
あたいったら最強ね!
そんなものをベースにして、「建武の親政」を「中興」とか呼んでるのは、バカよねぇ
そ~なのかぁ・・
んまぁ、そういうことです。で、続けますねぇ。
どうぞどうぞ
チベットが統一国家としてソンツェン・ガンポ王の下で強大な帝国になって現れるのは、7世紀に入ってからのことだった。
これに関しては、歴史認識では概ね問題ありません。中国歴史書の記述であり、チベット人の歴史書がない時代ですがね
え?ちょっと待って
7世紀になってから歴史書に出てくるの?
え~~と、「漢書」とかにチベット人かと思われる周辺民族の名称としては、常用漢字では表記できないのですが、”キョウ”、”チョウ”、という名称で呼ばれる人々がいたようです。
あくまでも中国王朝は対等な国家としてその名称を使っているわけではなくて、そういう人がいる、そういう部族がいる、程度に認識だったようです。

ちなみに、中国王朝では周辺部族の名前が王朝が変わると変化するので、注意する必要があります。困ったもんです。
ふう~~ん
後ほど説明しますが、 「国家」というのは、諸外国と外交関係が存在することが現代でも要件ですし、小さい部族のまとまりを全て「国家」として認識するとすれば、古代史は国家だらけになります。古代チベット地域に「国家」があったとする人は、そんな荒唐無稽な「国家」を国家として認めることになるはずですが、それを論理的整合性を認めることを現代では到底しないでしょうし、なんでも「国家」と規定できてしまう問題点を省みない人が、「古代チベットは独立国家」だったと言うのでしょう。
つまり、ウィキペディアの

「チベットは、古代から独立国家であったが 」

は適切ではないと?
いや・・それは違うんですよ。ダライ事務所のサイトにあるように、
チベットが統一国家としてソンツェン・ガンポ王の下で強大な帝国
を作るわけです。この帝国を歴史的には「吐蕃」王朝と言います。
なんて読むの?
「トバン」と言います。前回チラっと名前出したと思いますけど・・・・・
ルリルリ、お願い
思兼。検索開始
ウィキペディアより「吐蕃」王朝
ちなみに、吐蕃という言葉には、上記の指摘にある
・国家としての「吐蕃」の意味、
中国歴代王朝がチベット地域を総称して言う「吐蕃」の意味=「西蔵」も同じようなもの
がありますが、ここで使うのは、帝国、国家としての意味です。
OK。帝国になったほうね。
一応、チベット統一王朝と考えられています。
トバンの最大版図を地図にしたものがあるので、ルリルリお願いねぇ
これだけの領土の王朝だったわけで、中国王朝も周辺の国家も無視できる存在ではありません。
当然、「国家」として古代チベット唯一と言いえるでしょうね。
ちょっと待って。さっき、冥王星は「古代チベットには国家があった」という言葉に異論を挟んでるわよね?
はい。そうですが、この王朝の除けば、「国家」という体裁はチベットには存在してないとも言えます。この後も説明しますが、この王朝以後、外交権の確立したチベット国家はありません。
つまり、古代チベットには「国家」はあるとしても、それ以後は「国家」はないという意味です。
つまり、「から」ではないということね・・・
そういうことです。古代チベットに国家がないとは言いません。この「吐蕃」が唯一のチベット統一国家と思ってます。
なるほど、そういう意味で異論をもってるわけね
でも、問題があるんですよ。 吐蕃は、「ソンツェン・ガンポ」以外では記述がほとんどないんですよ。この最大版図の指摘は、唐の歴史書によるものですが、一時期隆盛を誇った吐蕃と唐王朝は国境策定の条約を締結します。
これはある程度、唐王朝と対等であることを暗示する意味では、中国王朝側としては吐蕃の実態を大きくする必要性があったとも言えます。
つまり、中国側のメンツの問題で、吐蕃は実像よりも過大評価されていると?
そういうことです。
吐蕃の名残になるものが現在のチベット域外には証拠もないんです。吐蕃の存在も史書による補完しかないとも言えます。
そして、中国王朝でもっとも歴史改竄が多いのが、現在の中国共産党政府を除けば、この唐王朝でもあります。
ふう~~ん・・つまり疑ってかかれと?
まぁ、多少は疑うべきでしょう。
と言っても、反証するだけの証拠もないんですけどね。
吐蕃が中国王朝に認められた「国家」であることは歴史書における事実でしょうし、記念碑もあるので・・・・
それに唐王朝末期には、 吐蕃が盛んに中国本土に軍事介入してますから、実力の程度は否定できないでしょうね。
ふう~~ん・・・まぁ、チベットに関する文献はチベット自身が持っていないわけだし、中国の歴史書に準拠するしかないのね。
そういうことなんですけどね。
でも、このソンツェンによって、チベット文字が策定されているんですよ。ベースはインドのサンスクリット語ですけどね。
じゃ、その後の歴史はチベット文字として残されているの?
特段残ってないですね。残念ながら。可能性としては、中国共産党政府が抹殺したかもしれませんが、それはほぼ不可能でしょうしね。
古代史って不便だね。
そうですね。まぁ、これはどこに国も同じで仕方ないことです。
そうそうちょっと問題あるけど、ソンツェンに関して簡単に説明するんですけど・・・ルリルリ、聖徳太子、ソンツェンの検索記事くれる?
思兼。検索開始
ソンツェン・ガンポ・・ 聖徳太子
二件ともウィキペデアより
kこの二人は業績が似てるのよ。かなり
は?チベットと日本で似てる?
・二人ともほぼ同年代
・中国王朝との対等な関係を希望している
・進んだ隣接国との交易関係を樹立する
・律令政治の整備
・12分岐の宮廷身分制度の策定
・仏教への帰依
似てると言えばそうだけど、無理すぎない?
まぁ、無理なんですけど、時代の一致を考えると疑わしい部分は多いですよね。両方とも母国の歴史書の信憑性の問題が多いわけですが・・・
ちなみに、聖徳太子の業績が虚構という仮説知ってます?
ウィキにもあるけど、聞いたことは何度かあるわ。
冥王星も虚構だと思ってます。あまりにもスーパーマンすぎますしね。存在した業績だとしても、連名だったと思います。彼一人の業績とはとても思えません。
それがソンツェンにも指摘できるわけです。ソンツェンはもっと怪しくて、中国側の史書しか残ってないと言えますので・・・
でも、あんたはその程度の話が古代史だと言ってるじゃないの?
まぁ、そうなんですけどね。 まぁ、でも、トバン=国家は簡単には揺らぐことはないでしょうね。物的証拠を捏造するのは1000年以上のものでは困難を極めますし
な~~んか釈然としないなぁ
それは反論部分が言葉の問題だからですよ。
ご主人様が理解した通りで問題ないですよ。今回は整理の必要性はないくらいに理解されたと思ってます。一応、ルリルリ整理してくれる?
思兼。要約
ウィキペディアにおける「チベットは、古代から独立国家であったが 」の指摘が不適切であるのは、古代チベットに「吐蕃王朝」が存在し、その王朝が対外的な外交関係と独立性を保持していたことから「国家」とは認められるが、その後のチベットには独立国家が存在しないことから「から」という言葉が適切ではない。別途要点として
・古代史として 吐蕃とその人物に関しては、古代史特有の信憑性の問題を抱える。
・ソンツェン、聖徳太子とも疑うべき素地が多い
・中国の歴史的な立ち位置の問題で東アジアの古代史の疑問はつきない
以上
あと、個人的な指摘になるけど、ウィキペディアの「チベット」の信憑性の問題は今後も検証しますが、併せて、ダライ公式HPの記述も検証しますので、両方とも見れる状態にしておいてくれると便利です。
テーマ2:チベットとは何か?後編の続きというかダラダラと歴史
まぁ、チベット古代史に関してはまだ突っ込み場所が多いわけですが、一回区切りを設けます
前編と後編の分量の違いが大きいわね。チベットの歴史といってもまだまだ先があるんでしょ?
はい。まだ1200年以上ありますので、長いんですが、そこは結構省略できるので、ご安心を
まぁ、私は聞くだけでいいからいいけど、最後までやってよね?
はい・・それはもう頑張ります
とりあえず、しばらくはご主人様は聞き手に回ってもらって、疑問点が発生したら、止めてください。
スピードアップするのね?
まぁ、そういうことです。かなり一機に時代を進める予定です。
あたいったら最強ね!
そ~なのかぁ・・
・・・・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・・・・
>
要点だけを集中的に整理します。展開速いので、ご注意を _
ウィキ攻撃というか、補足作業になりますが、とりあえず、ルリルリ、補助お願いね。チベットの歴史出して
思兼。検索開始
重複:チベット
さっき出した「チベット」の項目の中盤にチベットの歴史がありますね。そこ見ましょう。
とりあえず、ウィキ参照すれば、その後、「~~王国」「~~政権」とあるわけですが、トバン以後、海外勢力に国家として認められたという王国、政権はありません。
「留学生を派遣している」 ことは、国交を意味していると解釈できますが、別にそれが国家として認められたから留学生を受け入れてるわけでもありませんし、国交がある前提での留学生とも言えません。
ついでに中世においては、チベッ地域は、当時の大帝国に概ねスルーされます
まって・・どういうこと?そのスルーされるってのは?
え?単純に言えば、不毛の地を収めるメリットがないからですね。まぁ、自主的に支配下に加わる事例もあるので支配されている体裁の時代もありますね。
つまり、チベット地域は独立性を保っていたのではなく、土地としての魅力がない?
まぁ、早い話がそうです。ウィキに記載されている中世の政権、王国などは総じて外交勢力の干渉を受けません。 まぁ、大帝国の侵略活動に対して自立的に支配下に加わるか?スルーされちゃってる・・・という見地で問題ないっすよ。
ふ~~ん・・・続けて
ウィキ見ると、
グゲ王国、青唐王国 、サキャパ政権 、パクモドゥパ政権 、リンプンパ政権 、ツァンパ政権
とありますが、グゲ、青唐王国などは、トバンの分裂した王国でしかなく諸外国の認知はありません。単純に言えば、どかの独立した部族が「王国」を名乗ってるだけともいえるでしょうし、それを「国家」と規定することに問題があります。
ダライ事務所には、元王朝以前のチベットは記載がないわね。
ないですね。
9世紀半ばになって、チベットはいくつかの地方国家に分裂した。
程度しか記載できないのは、資料が中国側にしかないこともありますが、ダライ事務所には不都合な歴史もあるからなんですけどね。
どういうことなの?
前述した「王国」の後に、チベット仏教内部の対立が顕著化するんですよ
パクモドゥパ政権 、リンプンパ政権 、ツァンパ政権は単純に、チベット仏教におけるリーダー争いであって、求心力を失ったトバン王室の代行者の問題とも言えます。
一方、チベットの各地では部族間対立も多発していて、チベット仏教はあくまでも内部的に主導権争いをしてきた歴史があるんですけどね。
ん?つまり、トバン以後はチベット仏教の主導権争いの歴史だと?
そういうことですね。その後の、
サキャパ政権 、パクモドゥパ政権 、リンプンパ政権 、ツァンパ政権
は当時の大国の援助でチベット仏教の主導権を確保しているとも言えるので、傀儡みたいなもんですよ。国交ある援助じゃなくて、裏で援助するみたいな?
こういう政治手法は現代でも使われてるわけですが、イメージするなら戦後南米の主導権争いを影で支配してきたアメリカCIAみたいなのが中国王朝にもあった・・そんな感じでOKですよ
ふうん
歴代の中国王朝で総じて周辺異民族の脅威に晒されていたのですが、裏では部族間闘争を誘導するように動いていたんですよ。
例えば、支援したA部族が強くなると、対立するB部族を支援したり、B部族が強くなるとA部族を支援したり・・・・遊牧民国家は巨大化すると止めるのが困難ですが、小さいままなら永遠と部族間闘争の歴史
になって、中国本土には脅威にならないもんですからね。
う~~ん・・いまいち、つかめないな
まず、トバンという王朝がありました。その王朝が分裂し、求心力がなくなった状況でトバン王朝時代の政治助言していたチベット仏教界がトバン王朝の代行で政治的影響力を持ちますが、チベット仏教支持者は大多数でもないので、さらに分裂が加速していきます。
一方、歴史記述としてはトバンの受け皿になっら政権、王国が記述されるわけですが、これも中国王朝の影響下にあることが多いわけですし、分裂したチベットを統合するに至りませんし、チベット仏教の間の対立も解消されることはないわけです。
あのさ。外交関係がないと「国家」ではないというのは、厳密すぎない?
まぁ、そういう批判理解します。しかし、トバンという例外を除けば、その後のチベトの歴史はあくまでもチベット仏教の求心力をベースとした政治史でしかなく、チベット仏教信者ではない部族などは治めていませんし、チベットという規模の国家ではなく、一地域の統治組織でしかありません。奥州藤原氏を「国家」と認めるような歴史が日本にあれば、妥協できなくもないですが、それは無理でしょう?
釈然としないなぁ
その疑問は理解します。歴史学的に「国家」という規定は非常に難しいものですからね。
公民で習ったけど、現代の国家を規定する条件で見れば、中世チベットには「国家」に該当するものはないのは、理解するわ。でも、「国家」を歴史的に規定することは、簡単じゃななさそうね。
ウィキはなれてダライ事務所の文章を検証してみますけど、正直ウィキと同じように疑問視がつくんですが
ルリルリ、古代チベットのソンツェンの后の部分を
思兼。検索開始
ネパールと唐の皇女を妃に迎えたことは、チベットにとってとくに意義が深かった。というのも、チベットに仏教が広がるうえで、2人は重要な役割を果たしたからだ。中国の宣伝工作(プロパガンダ)は、ソンツェン・ガンポ王と唐の皇女・文成(ぶんせい)公主との結婚に、政治的な意義をもたせるのを常とするが、他の妃たち-とりわけ文成公主よりいくらか影響力があったとされるネパールの花嫁-については、いつも都合よく忘れ去っている。
別に都合よく忘れることはない。中国当局は唐王朝から降嫁された「文成公主」が、ソンツェンの息子との婚姻であって、ソンツェンとの婚姻を意図したわけではないことは重要な意味があるし、息子の嫁さんを奪うソンツェンの人間性という意味では、ネパールの「赤尊公主」よりも大きな意味があるのは当然だろう。
「赤尊公主」の存在なくしてはインド、ネパール方面とのパイプは語れないわけだが、それ以上に、 「文成公主」の影響力が大きいのは否定できないだろう。
思兼。要約
ダライ事務所としては、中国の影響力を否定したい一方、チベット仏教のチベット支配を肯定したいがために、「赤尊公主」の相対価値を高める意図があると想定される。 ソンツェンが近親相姦に至った事実に触れないのは、チベット仏教の側面において振れられない問題であると思われる。(歴史的な意味合いは近親相姦までして娶ったことにあることが重要であるはず)
過激な要約だね。まぁ、相対的に「文成公主」の影響力と歴史的意味合いが強いのは否定できないからね。ダライ事務所としても政治的スタンスのために歴史的認知に作為をこめる必要性はあるだろうしね。
なに?ダライ事務所の歴史の公平性の問題?
まぁ、そう思っていいです。ここらはある程度、資料があるレベルで批判するわけですが、この記事は客観的な評価はできない恣意的な文面でしょうね。
指摘しちゃうと、「文成公主」の人と為りはチベットでも大きく評価されているんですけどね。
現在のダライ事務所がそれを歴史認定すると都合悪いわけですよ。
ふう~~ん。こっちも疑わしいのね。
思兼。検索開始
ウィキペディアより「文成公主」
あ一応指摘しておきますが、遊牧民族では近親相姦はそんなに珍しくないです。でも、息子の嫁さんでしかも中国王朝ということには大きな意味があるのはわかると思います 。
漢王朝時代の「王昭君」なんか有名ですね。
よくわからないけど、ソンツケンは息子の奥さんを娶ったわけでしょ?そうとうな美人だったんでしょうね?
三次元には興味ないので自分としてはスルーしたい話ですが、客観的に考えるに彼女は菩薩様のモデルにような取り扱われ方していることから美人である以上に、母性もあったんではないでしょうかね?チベット民衆にとっては・・・・たぶんですが・・
ねね。もっとわかり易く整理できない?
難しい話ですね。とりあえず、日本の歴史で比喩してみますけど・・・
トバン王朝以前の歴史は日本の大和朝廷と同じで文献もない神話の時代です。しかも日本の大和朝廷の時代よりも物象がない時代です。
トバン王朝もいきなり出現したわけではなく、ソンツェンは33代目の国王ですし、トバン王朝は日本で言う天皇家に類似すると思っても近代までは問題ありませんね。
トバン王朝が内部崩壊してゆく過程で地方部族、地方豪族が自立して乱立する時代が到来します。まぁ、ここらは平安時代後期の武士の台頭と同じような感じでOKです。
中世チベットは、内部分裂したチベットを統一することなく、ダラダラと部族間闘争の歴史という感じですね。
ウィキペディアに指摘されているチベット仏教の政権は、イメージ的には、京都を実質的支配した寺社勢力であり、政権の交代の背景には、チベット仏教内部の対立構造と中国王朝の支援などがあった。
確定的にはいいきれませんが、チベット仏教の一般的認知度は限定的だと思います。それは今のチベットにも言えることでしょう。
そもそもチベット仏教のTOPであるダライが暴動を制止できない事実は、求心力のないことの証左と解釈できますしね。
まぁ、そういってもチベット人に関する統計なぞ存在しませんから、推測にしか過ぎませんけどね。
前回指摘したとおり不明瞭なのねぇ
まぁ、そういうことです。もっとも、チベット論者はそういう問題を棚上げして論じてるわけですから、タチが悪いですね。
この「チベット」を編纂した人なんか断定系で記述してますけど、歴史部分なども割愛部分が多いし、何より出典元が怪しいんですよ。特に「日中出版社」
ええぇ・・そうなの?
この出版社については機会があったら説明しますよ。
とりあえず、中世までのチベットの歴史を展開してきたんですけど、まだまだ続きます。
でも、今回は一旦、終わりにしますね。
本当に後編のボリューム多いわね。
そうですね。前編が地理的なチベットの問題の説明が主体だったんですけど、今回は歴史的な問題なので、どうしても政治と歴史の連動性から分量が多くなってしまいました。
次回も今回と同じく歴史をやることになりますが現状のチベット問題に深く関わる歴史の説明になるので、ある程度は割愛して、DQNさんブログの反論で説明する部分も増えます。
そういうことで、次回もよろしくです。ご主人様
中々、本題らしき部分に話が行かないのがイライラするわ
その批判は理解しますが、ここらの話は実は、本当の意味でチベット問題を理解する上では重要ではないにしても、チベット論者の欠落部分なのであえて掘り下げる部分だと思います。その主題は「チベット仏教のチベット支配の正統性」という問題なんですけどね。
それでじゃ今回はここまで?
そういうことにしてください。
そういえば非常に香ばしいサイトを見つけたので、近いうちに反論というか、説教記事を作ります。
少しは面白くなりますよ。
あんまり期待しないでおくわ。グダグダの展開続いてるし
それじゃ、最後の締めを
もうないわよ・・・私のお決まりのセリフなんか・・
東方M-1あるじゃないですか・・・あれ・・
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・イヤ
いいんですか?そういうこと言って・・・・・・
前回の記事読んでくれた「おぜうさま」「PAD長」からこんな手紙もらってくるんですけど?
読んでくれます?
ん、これ(手紙読みながら)
(手紙の文章)
全面的に冥王星氏に協力すること。
協力しない場合は解雇
くれぐれも失礼なきように
そういうことなので、お願いします
アンタもイジメなのね?
あれですよ。好きな子に素直になれない・・・ツンデレみたいな?
ご主人様は基本的には「いじられキャラ」なんですから諦めて・・サクっとっとね
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
これ見えますよね?(手紙をフリフリしながら)
JYAOOOOOOOOOO
ありがとうございます。次回もよろしくお願いします。
うらんでやる
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