ダライラマを疑え
真の”チベットの自由”のためのチベット論
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チベットが第二のイスラエルになる可能性
【2009/01/11】 総記
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 チベット独立論が隆盛している当初から、私は述べていますが、

チベット自治区の中国人を考慮に入れずに、独立運動がおこり、チベット人国家が樹立されれば、チベットがイスラエルになってしまう。

というのは決して、絵空事ではありません。
 
今回は、イスラエル問題の根底と同じような問題を侵しかねないチベット独立論を批判します。


イスラエル問題の一旦としての国家思想


 イスラエル問題の本質は様々ありますが、端的にいえば、
 民族国家の樹立という幻想に支配された両国民の問題とも言えるでしょう。
 
 イスラエル問題では、一方が批判されることが多々あるようですが、
両者とも、民族国家の樹立ではなく、共存する道を選択するのが妥当であると思っています。
 少なくとも、イスラム社会・ユダヤ社会は歴史的には、長くイスラエルの地で共存してきたのですから・・・・・

 民族国家とは、一つの民族で一つの国家を作ること、もしくは、一つの民族性を尊重して、国家が運営されることです。
 現代の日本もその傾向にあると言っても過言ではありません。保守主義の行きつくのは、民族国家ということも不可能ではありませんが、現代の保守主義の多様性を鑑みれば、それは短慮かもしれません。

 古くから国家は、ひとつの民族で構成されるケースが多くありました。

 しかし、それは今よりも多くの国が存在する状況での話です。
 その時代の国家の規模は小さく、社会的にも小さい単位です。

 近代、フランス革命によって、「国民国家」という概念ができます。
国家という大きな社会単位で政治・社会が動くことが一般化されたのが国民国家という考えです。
一方、国民国家は、国家は国民のためにある「主権在民」という国家肖像でもあります。
 
 国民国家はその後、一つの国家に、一つの民族という「民族国家」というものを作り出します。
 それを象徴するのが、ドイツ第三帝国などの独裁国家と言えますが、極論すぎますので、日本などを事例としましょう。

 「民族国家」というものは、古代にはありますが、中世・近世には存在しない国家概念なのです。

 中世・近世の国家は、小さい都市国家は例外として、多くの民族が共存する社会です。
民族同士の争いはありますが、決して、民族という単位と国家が同質化することありませんでした。

 このことは、日本にも言えます。

 確かに平安時代に蝦夷と呼ばれ、朝廷が討伐部隊を派遣して東北の政治支配を目論みますが、
中世・近世の日本は、アイヌや蝦夷・南九州の熊襲などという大和朝廷とは別の民族と共存してきました。
 しかし、明治時代になるとアイヌ人を否定するかのように単一民族国家という考えが生まれてきます。
 民族の規定の問題で、”日本を単一民族”と言えなくもありませんが、
アイヌの方々と一般の日本人は文化性の相違点が多々見られることは否定できないでしょう。
 それでも、日本は単一民族という見解で、民族国家という概念を推し進めます。

それは当時の欧州にも該当するものです。

 国民国家は”nation state”とも言いますが、これは、民族国家とも言えます。
実は、英語では、国民と民族はnationと同義であり、分岐しての説明ができない部分があります。
 国家主義・民族主義が「Nationalism」として同質化されるように、国民国家・民族国家は分岐されずに考えられてしまいます。
 英語で論文を書くことはありませんが、歴史では、国民国家を「A one-country-one-nation」と記述するのが妥当です。
 
一方、民族国家は、「nation state」です。

 残念なことに、この使い分けを行わない識者が多くいるのです。これは同質ではないことは説明したとおりですし、
 「民族国家」という概念で共存を拒否するからこそ、問題が発生することも分かることでしょう。
 民族主義では、多民族は異分子であり、共存しえないのです。

 民族主義がイスラエル問題の一旦だと言えることの説明はこのように説明できます。

少なくとも、旧来通り共存する道をイスラム・パレスチナが全面的に拒否しているわけでありません。
イスラエル・カナンの地で共存することは宗教教義的に否定されているわけでもありません。

妥協の余地は、両者(イスラエル・ハマス)にあるにしても、まずは、妥協するための対話が必要であります。
 イスラエルは対話さえも閉じてしまった国です。第三国の仲裁を受け付けないという政治意思も尊重されるべきでしょうが、
 仲裁の拒否によって、イスラエルが国際民主主義政治に離反し、民主主義を冒とくしたことは明白でしょう。
 「民族国家」という枠組みに拘りを持つからこそ、イスラエル問題が生まれたとも言えるのは、このような考えでも指摘できましょう。

チベット問題との類似性あるイスラエル建国問題



 チベット問題に重なる部分というのは、
すでに住んでいる住民の意見を蔑にして建国される、という政治的経緯にあります。

おそらく、独立ということになれば、ダライラマ亡命政府が、チベット自治区に民族国家を建国することでしょう。
 これまで、チベット自治区に住んでいた漢民族及び他の非チベット民族、非ゲルク派が
建国された独立チベット国に優遇されることは考えにくく、逆に彼らはダライラマ体制によって、住む場所を奪われる可能性もあるでしょう。

 住む場所だけではなく、これまで残してきたインフラなどが没収されてしまうことでしょう。

 なにせ、ダライラマ亡命政府には資金もなく、建国しても、追い出す外国人に支払うお金すらありませんし、払うつもりもないでしょう。
 他の独立の事例のように宗主国である中国が肩代わりするような可能性はありませんし、チベットの独立性を尊重しえるイギリスが肩代わりすることも難しいでしょう。

 これでは、イスラム建国時のパレスチナ人の悲劇と変わりません。
 追い出された人間が苦しみ怨恨が募る構造は、戦闘に至らずとも残ることは間違いないでしょう。
 中国政府の意見を蔑しろにした独立ならば、戦火の拡大はイスラエルの規模では済まないでしょう。

 チベット人自治区の住んでいたチベット人でも、すべてのチベット人が歓迎されるとは言えません。ダライラマに反抗的なニンマ派などの存在は語られないだけで存在します。

 突如、チベット人国家が建国されて、これまで住んでいた家を追い出される人民が少なからずいるのです。
 その人数すら、ダライラマ政府は把握しておらず、しかも、そのような人のことを考えた政治を行うとは思えません。
 今回、ダライラマ亡命政府が行った世論調査では、見事に自治区に住まう”非チベット人”は調査対象から外されました。
 危惧していたことの片鱗が見えてきた思いです。 

 以上のように、ダライラマ亡命政府が、イスラエル建国のような状況になり、パレスチナ問題に類似した問題になる可能性はゼロではないのです。

 それを再び行う可能性のある建国が、ダライラマ亡命政府にあるのです。
その危険性を留意して独立を叫んでいる人はどれだけいるのでしょうか?

チベット独立というシナリオに対する責任


 仮に独立するならば、独立によって摂取した資産の逆賠償を行う必要性もあります。
 中華人民共和国がこれまでチベット自治区に投下した資本を返還する必要性のことです。

 これに似た問題は、日本から独立した朝鮮でも発生したことですが、日本は逆賠償を放棄しましたから、韓国は逆賠償の責任を負わずに済みました。

 独立を標榜するのは自由でしょうが、それによって発生する責任などを果たせるとは、ダライラマ亡命政府の実力では思えません。
 資金的な問題もありますが、どれだけ政府として真っ当な政治主張を行えているのでしょうか?
 それができないことも、ダライラマの振る舞いで分かることです。
 それについて、ブログを参考にしてくれれば、ダライラマと亡命政府のエゴイズムが見えると思います。
 
 チベット亡命政府とは、亡命している政府である時点で、正当性もなく
諸外国の国家承認もない流浪の私的集団にすぎません。

 同時に、独立を叫ぶ蒙昧な世論は、「国家主権なき」空想国家を作りだし、経済的な支援もなしに見殺しにするだけでしょう。独立が絵にかいた餅であることは、ダライラマ事務所を理解していることでしょうから、独立とは言わないのです。
 
 独立支援活動の資金源などはダライラマ事務所が捻出しているのが大半であり、第三者の支援活動などは、一時的なものに過ぎません。

 独立を標榜する人間がどこまで独立のコスト・独立後のチベットの国家経営を考えているのか?

冥王星は、はっきり考えがないと断じていますが、これに反論できる人はいるのでしょうか?

 同じことをダライラマ亡命政府に英文でメールしましたが、回答はありません。
 「現時点では、ダライラマ亡命政府は中国政府に高度な自治を求めているもので、独立は時期尚早と判断しています」
との定型の返信メールを見て、嘲笑したことは言うまでもありません。 

ブームで起こる政治世論の無責任さ


 すでにもう、チベット問題は風化したきらいがありますが、
”人権問題は普遍的なもの”であって、実態が改善しない状況では、常に監視・注視するべき問題でしょう。
 人権問題で無視されるべきではないと言明してきた過激派・フリーチベット論者、内政干渉を要請した人々であるならば
継続的に意見喚起されているべきでしょう。

 しかし最近の現状ではほとんど聞かれません。
 sapioあたりで、ダライラマが「次期ダライは女性かもしれない」
は発言したことを意図的に大きく取り上げるような状況です。

 宗教世界において、女性が不浄とする教義はもはや少数です。
仏教においても既に否定されている考えであって、今さら「ダライラマが女性になるかもしれない」で驚くのではなく、むしろ、当然という受け止め方が普通でしょう。なにより、ダライラマは男性である、という規定があるとも伝わっていませんし、そういう伝承でのダライラマの発言であれば、価値はあるでしょうが、可能性として当然存在するもの(むしろ、あって当然のもの)を大々的に騒動するしかないほど、話題に不足しているのでしょうか?
 非常に取り上げる価値が測りかねますし、政治的恣意性を感じてしまいます。

 保守的と言われる日本の本願寺系統でも女性法主が生まれている時代ですから、なさおらです。

 チベット問題は北京五輪問題と関連して湧き上がった問題ですが、その五輪の問題でも、開催されると世論は批判ムードが覚めてしまいました。
 北京での開催に決定した当初に批判した人も、結局はスゴスゴと批判を取り下げてしまうようなヘラレ世論ですから、予測していたことです・・・・・・
 今では逆に、次の東京五輪の騒動です。
北京五輪のという前例の反省などを活かそうという機運も考えも感じられません。

 熱しやすく冷めやすい国民性という批判は自制しますが、

 他国の主権を侵すような発言を行っている人間(内政干渉・テロを強制するような意見)が、問題に無関心になってしまうというのは、如何なものでしょうか?
 
 「ブーム的なもので政治を考えるべきではない!」とは強弁しませんが、有権者として責任ある行動を行うならば、継続的な監視活動を行うのが当然でしょう。

 冥王星個人は、様々な問題に意見しますが、消え去ることなく大きな問題が出れば、意見し続けることでしょう。
 だからこそ、チベット問題に関しては、世論のあまりの無責任さにブログを別途に作ったのです。

 時事問題とは、刹那的な問題であってはならないことが多々あります。
しかし、それを刹那的な論題で終わらせてしまう人間が多くいますが、彼らは、問題から学ぶ気概がないからこそ、忘れてしまうのでしょう。

 逆に、問題を深刻に受け止めていないからこそ、簡単に論じてしまえるのでしょう。
軽い気持ちで論じているからこそ、忘れるのも早いし、当然、継続的な興味など湧かないのでしょう・・・・
 私の偏見もありますが、理論的には間違っていないと思います。

 テレビ番組政治評論も刹那的です。一番ひどいのは経済評論ですが・・・それは別の話にしましょう。

ちょっと愚痴



 無責任な言説を、無責任な市民が精査しない大量消費時代が到来しました。
その結果、処理しきれない大量の情報を精査することもなく、
「左から右に流す」ことを余儀なくされました。


その結果、考えの浅い人間が増えたのでしょう。
 知識の問題ではなく、関心・態度の問題だと冥王星は思っています。
 ”馬鹿でも無知でも”知ろうとする気概のある人間は、それで価値があるものだと思います。

 知識というのは、贋作でも見抜けないことがあります。「知ったふり」を上手に行えば、知識人と見ることができます。
 しかし、態度・姿勢というものは、時間的経過によって露骨に反映してしまうものです。
 それは、知識・知恵などは、時間的経過によって研磨・研鑽され高品質になってゆくからです。

 現代の知識は、裾野の広い・低品質なものが多く需要される時代ということでしょうか?
 そういう時代であるからこそ、職人への憧れ・尊敬が高まるように思うのですが・・・  
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この記事に対するコメント

こんにちは♪
フスさんのご見解は正しく、全面的に支持させていただきます(^O^)
確かにチベット問題をはじめ、現代の少数民族独立問題というのは、実際にその地に居住している多数派民族の存在を無視しており、到底民主主義を尊重しているとは思えません。
チベットは一応、チベット族が多数派ということになってますが、それは表向きであり、実際にはやはり漢族の方が多いです。
軍人や役人の家族は人口にカウントされてませんからね。
それなのに「チベットはチベット人の土地」という結論先にありきで、邪魔な多数派民族である漢族を追放しようとしているのですから。

極論すれば、安全な所にいる無関係な外国人たちが、安易なロマンチシズムで被支配民族に肩入れしてるだけです。
【2009/04/08 11:01】 URL | 黄氏 #mQop/nM. [ 編集]

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【2009/09/16 04:05】 | # [ 編集]

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【2010/02/05 01:20】 | # [ 編集]

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