ダライラマを疑え
真の”チベットの自由”のためのチベット論
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「ダライ・ラマ法王とチベット」①
【2008/10/20】 ダライラマ事務所の欺瞞 ダライ・ラマ法王とチベット
転生者の発見

 現在のダライ・ラマ法王14世は、1935年7月6日、チベット東北部アムド地方のタクツェルという小村で貧しい農家の子として生まれた。この活発で可愛いらしい2歳の幼児ラモ・トゥンドゥプが、先代ダライ・ラマ13世の生まれ変わりと認められたのである。
 1939年、4歳になった生まれ変わりの子供は、チベットの首都ラサへ迎えられる。翌年には、ダライ・ラマ14世として正式に即位し、ポタラ宮の玉座に着く。その際、名前もテンジン・ギャツォと改めた。
 ダライ・ラマ法王は、6歳のときから僧院教育を受け始め、24歳のとき仏教哲学の最終試験を受けた。この試験は、毎年チベット暦の正月に実施される祈願大祭の期間中、ラサのチョカン寺で行われるもので、これに優秀な成績をもって合格。ゲシェー・ララムパという仏教哲学最高位の博士号を取得することになる。
当時のチベット政府は、仏教の非暴力思想に基づき、必要最小限の軍備しか持たず、第2次世界大戦でも厳正中立を守っていたが、アジア文化の1つの極みとして繁栄を続けていたチベットの歴史は、俄かに暗転する。


<現在のダライ・ラマ法王14世は、1935年7月6日、チベット東北部アムド地方のタクツェルという小村で「貧しい農家」の子として生まれた。>
 「ダライラマ自叙伝」の記述では
生家は小農ではあったが、地主に従属する小作人というわけでもなかった。貴族階級でもない。わずかな土地をひとに貸し、自分たちでも大麦、ソバ、とうもろこしなどを栽培しており、ゾモというヤクと牝牛の雑種を5~6頭、80頭あまりの羊やヤギ、2~3頭の馬、2頭のヤクを飼っていたという。生家はチベットならどこにでもあるなんの変哲もないありふれた民家だったという
とのことだが、土地を貸せる身分であったことは、決してチベットの「貧しい農家」ではない。
 チベットにおいて耕作地は非常に限られていることは言うまでもないし、多くの耕作地はラサのチベット仏教世界の所有権になっているのが実情である。
 少ない耕作地を持っている地主であることだけでも農奴封建社会であるチベットでいえば、支配者層であることは言うまでもない。
 自叙伝の記載の真贋は不明確だが、チベット民族の家族構成からすれば、9人目という数は人口と世帯比率からしても異常である。
”チベット人居住区の一世帯当たりは3.2人程度(ラサは都市部として除外した)”
 自叙伝にもあるがダライの長兄(トゥブテン・ジグメ・ノルブ)が高僧に列せられている。
 輪廻転生という儀式は習俗であり自由だが、ダライラマの生家は、チベットでも「貧しい家」ではなく、普通以上の家である。
 自叙伝でも「貧しい」とも指摘していないし、平凡程度の評価であるが、「貧しい」という主観論の怪しさは消えない。
事務所の「貧しい農家」は政治的プロパガンダと断定できるし、ダライ自身の自叙伝からすれば、事実ではない。

<ダライ・ラマ法王は、6歳のときから僧院教育を受け始め、24歳のとき仏教哲学の最終試験を受けた。この試験は、毎年チベット暦の正月に実施される祈願大祭の期間中、ラサのチョカン寺で行われるもので、これに優秀な成績をもって合格。ゲシェー・ララムパという仏教哲学最高位の博士号を取得することになる。 >
 冷静に考えてほしいのだが、「ゲシュー・ララムパ」という学位はチベット独自のものである。しかも、局所的な権威である。
 チベットのラサ世界の主導権を握っているダライとその取り巻きが支配するラサ世界でどれだけ客観性ある評価ができようか?
 日本の皇族の方々の学力は知る由もないが、形式的であっても海外で獲得した学位であるし、客観的に中立な研究機関の評価もある研究論文もある日本の皇族の方々を見ている立場からすれば、自作自演自画自賛の評価でしかない。そうやって内部的な権威付けによってダライ体制は成立しているという意味では、非常に疑問符が付くものがあります。
<仏教の非暴力思想に基づき、必要最小限の軍備しか持たず、第2次世界大戦でも厳正中立を守っていた>
嘘はやめてほしい。
歴史年表には武力的行動が幾度も記述されている
第二次世界大戦中のチベットは「日本軍・国民党軍・共産党軍」の三すくみの状態で何する必要もなくただ、傍観できる立場だったに過ぎない。
中立であったというよりも、チベットは常に余裕のある勢力でもない限りは、放置されてきた世界なのである。
逆説的に言えば、強大化したチベット王朝の誕生のたびに、ブータン・ネパールなどのチベット高原に接する弱小国家は、常にチベットに脅えつづけていたのである。
事実、ダライラマ5世時代には、チベット自身が朝貢外交している。
歴史的には、そのような弱小王朝の歴史は、中立である期間は長い。チベットだけが中立であるわけではない。
 中立であることは事実であるにしてもそれを誇れるような立場ではないことは、大戦間期のチベットとイギリスの関係などからも見えてくる。
1935年
チベット政府、クンブムにいるパンチェンラマに合流するため300名の中国兵が南京を出発したという知らせを受けて、武力で阻止する旨、中国政府に打電。イギリスの武力支援を要求
1936年
カム駐留のチベット軍、中国共産党軍を追って揚子江を越え、デゲなどを掌握。蒋介石が抗議。チベット側は、カムにおける中国国民党軍の脆弱さを知る

先代ダライの時代などは非暴力など到底言えないし、なによりダライラマ5世はブータン・ネパールと侵略行為を繰り返しているのが17世紀以後のダライ体制である。
特に生臭い闘争の歴史をしているのが、ダライラマ13世で、そのチベット仏教の動向を年表もある。
関連年表
ダライラマの非暴力」などという虚飾はずっと続いてることだが、ダライラマ事務所もダライ政権も、
「良き仏教徒」の演出に懸命であり、それに騙されているのが多いのだろう。
 もっとも、仏教徒が決して平和主義ではないのは、東南アジアの近代化の混迷などを考えれば確信的に否定できるし、国家主義共産主義と一般宗教の化学変化が東南アジアの歴史という歴史家が圧倒的である。
 平和主義と宗教は関係ないものであるし、平和主義というのは程度の差はあれど普遍性のある概念であると言えるが・・・・
<アジア文化の1つの極みとして繁栄を続けていたチベットの歴史は、俄かに暗転する。>
 これに関しては、逆説的にチベット仏教の代表者を自称しているダライ体制に対して、痛烈な批判ができるだろう。
 中国の少数民族は数が多い。その中でナシ族を筆頭として、チベット仏教ではなくボン教の背景が強い民族文化を持っている民族が多い。
 しかし、それらはチベット仏教という側面がありながらも、ラマ世界のチベット仏教と同一視されている。

 これは、チベット仏教=ラサ世界=チベットという誤解を生んでいる。
 チベット仏=ラサ世界でもないし、チベット仏教の指し示す範囲は広い。
ボン教とその派生形の宗教までチベット仏教のように言動するダライ事務所の傲慢さは
”ダライ体制が起こしている民族浄化”と言える。

 チベット民族であってもラマ教ではなくボン教信者もいるし、チベット民族以外でも、ボン教のエッセンスを強くもった自然崇拝が
チベット仏教と混同されているのは、むしろ、多くの市民の無知が原因だが、チベット仏教の代表を自称するダライ体制の責任は大きい。
 以前、「九賽溝」の誤解についても指摘したが、「トンパ文字」に関してもチベット仏教という見解が存在している。
 チベット仏教自身の責任ではないが、トンパ文字の文化的価値をチベット仏教が介在した結果、色褪せている。
 なにより、このトンパ文字で知られるナシ族の文化を破壊したのは、チベット統一王朝である「吐蕃」である。
 チベット仏教の妥当な理解はほとんど今の社会には介在していない。
それは、ダライラマの宣伝活動の結果であろう。
そこには、チベット仏教の誤解とその誤解で利するダライ体制の背後関係があるのである。

ちょっとした感想を
 セレブがセレブである状態を維持するために、お互いの社会的価値を高め続ける必要性がある。
A、B,C、Dという著名人がいるとしよう。
 セレブと言われる人間は、各々、お互いを引き出しにする。
例えば、Aという人の著作出版記念日に、Bという著名人を呼ぶことで、AとBの相対価値が上がる。
その見返りに、Bが必要な時には、Aも協力する。
これは人間の協力関係である一方で、相互に価値を高めるための詐術である面もある。
相対価値のある人間同士が己の価値ではなく、付帯してきた別の価値と結託して、自分の価値を高めるのである。
そこには、自分というブランド価値がある。
こうやて、セレブはセレブとしての価値を高め、連携してゆくのだが、それが歪んだ利益関係になることがある。
 ダライラマはその典型例だろう。彼の外交活動は、彼自身が死地に乗り込むことはない。
常に代理人特使を立てて、自分は常に安全な場所にいる。
「ダライは非暴力主義ではない」という記事でも説明したように彼は、決して非暴力行動を徹底した自分ではない。逆に彼は高い位置から、民衆を扇動していた一方で、彼自身は責任逃れをしつづけている。
その結果論の集大成が「亡命政府」である。
チベットの高度な自治を求め、チベットの最高指導者であるならば、中国当局の承認の元に、自治政府の指導者としての責任を果たす道理があるはずだ。
しかし、彼はその責任からも逃げた。表層的に自分は最高指導者であると自称しながら、彼はチベットに関する政治責任を果たしたのだろうか?

 安倍総理・福田総理の辞職を「逃げた」という人がいる。では、彼らが逃げであるならば、ダライラマは「逃げ」ではないと言えるだろうか?
 責任者としての資質を持っているとは思えない数々の行動をどうやっても肯定できない。
そもそも、チベットに関する情報の真贋もあるが、チベットの理解深度はどの程度であろうか?

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【2013/04/23 11:47】 | # [ 編集]


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